2018年4月24日火曜日

精神分析新時代 推敲 63


「心の動かし方」の3つの留意点
さてミット打ちの比喩、症例A,Bと紹介してきました。そして私のいう「心の動かし方」は構造を内包している、という話をしました。その心の動かし方について、いくつかの特徴を最後にまとめておきます。
1.バウンダリー上をさまよっているという感覚
一つは私はその内的構造を、いつもギリギリのところで、小さな逸脱を繰り返しながら保っているということです。バウンダリーという見方をすれば、私はその上をいつもさまよっているのです。境界の塀の上を、どちらかに落ちそうになりながら、バランスを取って歩いている、と言ってもいいでしょう。そしてそれがスリルの感覚や遊びの感覚や新奇さを生んでいると思うのです。これは先ほどのミット打ちにもいえることです。コーチがいつもそこにあるべきミットをヒュッとはずしてきます。あるいは攻撃してこないはずのミットが選手にアッパーカットを打つような素振りを見せます。すると選手は怒ったり不安になったり、「コーチ、冗談は止めてくださいよ」と笑ったりする。もちろんやりすぎは禁物ですが、おそらく適度なそれはミット打ちにある種の生きた感覚を与えるでしょう。
あるいは実際のセッションで言えば、私はBさんに「まあ、どうぞどうぞ、お茶でも」と言って、ペットボトルのお茶を紙コップに入れてBさんに振舞います。こんなことは普通は起きないので、Bさんは私が冗談でやっているのか本気なのかわからない。私が時々言うジョークにもその種の得体の知れなさがある。Bさんはそれに笑うことが出来て、「これは掛け合い漫才ですか?」といったりする。私とBさんはそんな関係を続けているわけですが、この種のバウンダリーのゆるさは、仕方なく起きてくると言うよりも、実は常に起きてしかるべきものであり、治療が死んでいないことの証だというのが私の考えです。
通常私たちは、この種のバウンダリーには極めて敏感です。欧米人なら、通常交し合うハグの中に、通常より強い力、長い時間、不自然な身体接触の生じている場所にはすぐに気がつくでしょう。あるいはほんの僅かな身体接触はとてつもない意味を持ち、性的な意味を持つものは即座に感じ取られる。そしてそれはまたそれが生じる文脈に大きくかかわってきます。あるセッションの終わりに、治療者が始めて握手を求めてきたら、特別な意味が与えられるでしょうが、終結の日なら、極めて自然にそれが交わされるという風に。言葉を交わしながら、私は同じようなバウンダリーをさまよっています。実はそのことが重要なのであり、そこに驚きと安心がない混ぜになるからなのです。そう、バウンダリーは、それがどのようなものであっても常にその上をさまようものなのです。週一回、50分、と言うのはそのほんの一例に過ぎないのです。

2「決めつけない態度」もやはり治療構造の一部である
もう一つは決め付けない態度 non-judgemental attituede ということです。Aさんの場合も、Bさんの場合も、かなり世間から虐げられ、誤解を受け、辛い思いをしてきたということが伺えます。人からこんなことを指摘されるのではないか、こういうところを疎ましがられているのではないか、ということが感じられます。たとえばAさんの場合は、曲がりなりにも国家の資格は持っているにもかかわらず、職を得ていません。Bさんの場合も、自称元治療者という経歴を持っていますが、今はフラフラしている毎日です。彼らは少なくとも私が厳しいことや、彼らが曲がりなりにも持っているプライドを傷つけるようなことは言わないことを知っています。働いたらどうかとは決して言わないし、お説教じみたことは私の発想には全くありません。私は彼らを「直そう」とは特に思いませんし、彼らが生活保護をこれから続けなくてはいけない事情をよくわかっています。彼らの中に深刻な孤独感と対象希求があるのをわかっているつもりです。彼にとっての私は、おそらく変わった精神科医で、必要に応じて投薬をし、診断書を書くという以外は、白衣を着たただの友達という感じでしょう。もちろん私は白衣は決してきませんし、持ってもいませんが、私が医師であるということは彼にとっては意味があることは確かで、そのことを私が知っているという意味です。
私にとって決めつけないというのは構造の一つです。それはスパーリングで言えば、そこに遊びはあっても、基本的にはミットが選手の痛めている右わき腹や狙われやすいアッパーカットを打ち込むと言うことはありません。その安心感があるからこそ、そのそぶりはスリルにつながるのでしょう。
3.やはり自尊感情セルフエスティームか?
私は心の動かし方のルールとして、やはり患者のプライドとかセルフエスティーム、自尊心を守るということを考えてしまいます。ヘンリーピンスカーという人の支持療法のテキストに書いてありましたが、支持療法の第一の目的は患者の自尊心の維持だといっています。私もその通りだと思うのは、彼らの自尊心を守ってあげることなしには、彼らは自分を見つけるということに心が向かわないからです。ですから私がAさんやBさんとやっていることが、ただ彼らに支持的にふるまっているわけではないということをわかっていただきたいと思います。彼らはある意味ではだれから見ても目につく特徴を持っている人たちです。私はついいたずら心から彼らの特徴を指摘したくなることもあります。ところがある意味では私との面接外では、彼らはそれらについて過剰に指摘され、傷ついている可能性があります。それに振れないことは、私の発揮できるニュートラリティ、中立性とも考えます。
以上本章では、精神療法の強度のスペクトラム、内在化された構造としての「心の動かし方」というテーマで論じました。