2018年4月23日月曜日

精神分析新時代 推敲 62

スペクトラムの中での柔構造
―ある心の動かし方
さて私は精神科医として、そして精神分析家として、結局かなりケースバイケースで治療を行っています。そして強度のスペクトラムの中で、強度8から0.5まで揺れ動いているところがあります。これはある意味では由々しきことかもしれません。「精神療法には構造が一番大事なのだ」。これを私は小此木先生から口を酸っぱくして言われました。でも私はこれをいつも守っているつもりなのです。ある意味では内在化されていると言ってもいいかもしれません。というのも私は結局はどの強度であっても、一定の心の動かし方をしていると思うからです。そして私はそれを精神分析的と考えています。ここでの私の「分析的」、と言うのは内在化された治療構造を守りつつ、逆転移に注意を払いつつ、患者のベネフィットを最も大切なものとして扱うということにつきます。それが私の「心の動かし方」の本質です。その心の動かし方それ自体が構造であるという感覚があるので、外的な構造についてはそれほど気にならないのかもしれません。
 「ある心の動かし方」はそれ自体がある種の構造を提供しているという側面があるという話をしました。その心の動かし方にはある種の構造がビルトインされています。ですから時間の長さ、セッションの間隔は比較的自由に、それも患者さんの都合により変えることができます。それでも構造は提供されるのです。ただし実はその構造を厳密に守ることではなく、それがときに破られ、また修復されるというところに治療の醍醐味があるのです。そのニュアンスをお伝えするために一つの比喩を考えました。
いつか重構造のことをボクシングのリングのようなものだと表現しました。がっちり決まった、例えば何曜日の何時から50分、という構造を考えると、それは相撲の土俵のようなものです。そこでさまざまなことが起きても、足がちょっとでも土俵の外に出るだけであっという間に勝負がつく。その俵が伸び縮みすることはありません。ところがボクシングのリングは伸び縮みをする。治療時間が終わったあとも30秒長く続くセッションは、ロープがすこし引っ張られた状態です。そして時間が過ぎるにしたがってロープはより強く反発してきます。すると「大変、こんなに時間が過ぎてしまいました!」ということで結局セッションは終了になります。
 このようにロープ自体は多少伸び縮みするわけですが、リング自体はやはりしっかりとした構造と言えます。そしてその中で決まった3分間、15ラウンドの試合を行うというボクシングの試合は、かなり構造化されたものです。そして、本来治療とはむしろこのボクシングのリングのようなもの、柔構造的なものだ、というのが私の主張でした。
 しかし「心の動かし方自体が柔構造的だ」という場合は、ここで新たな比喩が考えられます。同じボクシングの比喩ですが、コーチにミットでパンチを受けてもらう、ミット受け、ないしミット打ちという練習です。
ボクシングの選手はミットで受けてほしい、とコーチのもとにやってくる。コーチはミットを差し出して選手のパンチを受けます。ひとしきり終わると、「有難うございました。ではまた」と選手は帰っていきます。ここにも大まかな構造はあるでしょう。どのくらいの頻度でミット受けをしてもらうかは、選手ごとに異なるでしょう。一時間みっちり必要かもしれないし、5分でいつもの感覚を取り戻すかもしれない。しかしここにもだいたい構造はあるでしょう。それこそ月、水、金の5時ごろから30分ほど、とか。さもないと二人とも予定が合せられないからです。
 さてミット受けが始まると、選手はコーチがいつもと同じようなミットの出し方をして、いつもと同じような強さで受けてくれることを期待する。場所はあまり定まっていないかもしれない。その時空いているリングを使うかもしれないし、ジムが混んでいるときはその片隅かも知れない。夏は室内が暑いから外の駐車場に出て、風を浴びながらひとしきりやるかもしれない。その時選手とコーチはお互いに何かを感じあっている。コーチは今選手がどんなコンディションかを、受けるパンチの一つ一つで感じ取ることができるでしょう。選手はコーチのグラブの絶妙な出し方に誘われて自在にパンチを繰り出せるようになるのでしょうが、時にはコーチは自分にどのようなパンチを出して欲しいかが読み取れたりするかもしれません。その意味ではミット打ちは選手とコーチのコミュニケーションと意味合いを持っています。
 このミット打ちの比喩が面白いのは、選手とコーチの間の一方向性があり、それが精神療法の一方向性とかなり似ていると言うことです。コーチがいきなりグラブを突き出してきて選手にパンチを繰り出すようなことはない。コーチは自分がボクシングの腕を磨くためにミット打ちを引き受けるわけではないからです。だからいつも選手のパンチを受ける役回りです。いつも安定していて、選手の力を引き出すようなグラブの出し方をするはずです。その目的は常に、選手の力を向上させるためです。あるいは試合前に緊張している選手の気持ちをほぐすため、という意味だってあるでしょう。なんだか考えれば考えるほど精神療法と似てきますね。
 そしてこのミット打ちを考えると分かる通り、その構造は、コーチのグラブの出し方、選手のパンチの受け方に内在化されているのです。そこにはいつも一定のスタンスと包容力を持ったコーチの姿があるのです。
ただここら辺で理論的な話ばかりするとみなさんが退屈になりますから、臨床例について話したいと思います。