2017年12月7日木曜日

精神療法の倫理 (最終版) 後半

現代精神分析における「倫理的転回」の動き

歴史的に見て、精神分析の流れは心理療法一般の流れを先導する役割を担ってきたという側面があるが、現代的な精神分析理論、特に関係精神分析における倫理の問題の展開についても紹介しておこう。Hoffman,I(7)によれば、技法について論じることは、治療において弁証法的な関係を有する両面の一方にのみ目を注ぐことにすぎないことになる。彼によれば精神分析家の活動においては「技法的な熟練」という儀式的な側面と「特殊な種類の愛情や肯定」という自発的な側面との弁証法が成立している。ここで言う「技法」は、フロイトの提唱した治療技法に相当するが、Hoffman の説に従えば、それは分析家の行う患者とのかかわりの一部を占めるに過ぎず、分析家の持つもう一つの側面、すなわち分析家もまた患者と同じく死すべき運命にあり、患者と同じ人間である、という側面に常に裏打ちされている。そしてこの二つの側面は、すでに述べた二つの倫理、すなわち慣習的倫理と道徳的倫理に対応すると考えられる。すなわち技法的な側面は、治療者としてなすべきことを行うよう促し、自発的な側面は「特殊な種類の愛情や肯定」を患者に提供する道徳的な配慮に対応する。そして Hoffman によれば、この倫理的な二両面もまた表裏一体の関係を有するということになるのだ。
 
以上の Hoffman の視点に反映されるように、精神分析における技法の問題に、従来とは異なる視点が与えられることになったことには、精神分析における新しい動きが関係している。富樫(12)は関係精神分析の流れにおけるいわゆる「倫理的転回 ethical turn」という概念を紹介している。この倫理的転回は、いわゆる「関係論的転回 relational turn」という概念に対応するものとして提唱された。関係論的転回は、従来の精神分析的な理論が前提としていたような心の明確な構造体や組織がもはや存在せず、心を扱う上での共通した理論やそれに基づく治療技法が存在せず、むしろ治療場面における二者関係そのものに注目すべきであるという、新しい心の理解であった。その意味でこの倫理的転回は「精神分析の行動規範や価値観の転回」として言い表すことが出来るという。もちろんこの倫理的転回が直ちに治療者がいかに振る舞うかという具体的な指針を提供するわけではない。しかしこれは確かにある種の視点の転換を反映するものであり、それは先に見た規範的な倫理から、より道徳的な倫理を加味した視点への発展的な転換と言い表すことが出来るであろう。このことは幾つかの倫理綱領が異口同音に示している項目、すなわち「理論に左右され過ぎてはならない」という項目とも一致するのである。


身近に出会う倫理性の問題の例
最後に精神療法を行う際に必要となる倫理的な配慮の中でも基本的なものとして、三つを挙げて概説しておこう。

.インフォームドコンセント

治療者の側の倫理としてまず問題とされるのが昨今議論になる事の多いインフォームドコンセント(IC)であり、それと密接な関係にある心理教育の問題である。ICとは患者に治療の選択肢としてどのようなものがあり、どのような効果やリスクが伴うのかを説明した上で、治療の合意を得るプロセスである。そしてその前提となるのが、患者の問題についての見立てを情報として伝え、必要に応じて心理教育を行なうという能力である。これらをきちんと行なうためには、かなりの時間と精神的なエネルギーを要するし、そのための治療者側の勉強も必要となる。ちなみにこのICの考えは、伝統的な精神分析の技法という見地からは、かなり異質なものであった。治療の内容についてあらかじめ患者に語ることは余計なバイアスを与え、治療者のブランクスクリーンとしての機能を損なうものと考えられる傾向にあったからである。しかし現代的な精神療法においては、治療者側がより謙虚に自ら行う治療のメリットとともにその限界を把握する姿勢が求められているのである。

.個人情報と症例発表の承諾

学会や症例検討会などで症例の報告及び検討は欠かせないものであるが、実はその際に患者から得るべき承諾の問題は、決して単純ではない。症例報告にはことごとく患者の承諾が必要なのか、それとも個人情報を十分な程度に変更したり一般化したりする場合には、承諾の必要はなくなるのか? これは決して単純に答えを出すことができない実に錯綜した問題である。その根底にある一つの大きな問題は、はたして承諾するか否かを尋ねられた患者の側に、どの程度それを断るという自由な選択肢が与えられているかという問題だ。この問題に関連し、Gabbard (3)は以下のように述べている。
[治療を記録してスーパービジヨン等に用いることについては] このアプローチの主要な欠点は、治療を行なう二者のプライバシーが侵害されるということや、そのような環境では機密性が犯されていると患者が感じてしまう危険があるということである。そのような状況で行なわれるインフォームド・コンセントが本当に自由意志によるものであるのかどうかには疑問符が付く。なぜなら,転移が強力すぎて嫌とはいえないのかもしれないからである。(p.228
このことはおそらく治療が終わった際の承諾にもある程度言えることであろう。さりとて症例提示を回避することは、精神療法家としてのトレーニングや学術交流のためにありえないために、この問題について深刻に論じること自体が一種のタブーとなりかねないであろう。ちなみに筆者は過去に公開された症例を積極的に再利用することは、この問題を回避する手段の一つとなりうると考えている。

3.境界侵犯

境界侵犯の問題は、精神分析が始まって以来の懸案であった。フロイトの多くの弟子が患者との親密な関係に入る結果となった。分析家たちは治療構造や境界の意識が低く、また逆転移への理解が十分でなく、フロイトの直接の弟子であるCJ.ユングもS.フェレンチもE.ジョーンズも患者との性的な関係を持ち、フロイトがそれをたしなめる必要があった。しかしその後は逆転移に関する理解が進むとともに、あらゆる治療者が境界侵犯に陥る危険を有するものとして、比較的オープンに語られるようになった。
 境界侵犯は現実的な問題でもある。ある米国での報告では、調査の段階で10パーセント以上の治療者が自ら境界の侵犯を犯したことを認めている。この問題について Gabbard (3,4)の示す視点が興味深い。彼は境界侵犯を特に上級の分析家が犯した際の、組織ぐるみの抵抗 institutional resistance が生じることを観察している。彼はまた境界侵犯を犯した治療者の心理テストから、彼らが必ずしも自己愛的で反社会的な所見を示すわけではなく、むしろ寂しさや対人関係上の飢えを表していたという。
以上精神療法における倫理の問題に関して論じた。今後の精神療法においては、この倫理の問題はますます重要性を増すと考える。本稿がこの問題に真剣に取り組む際の参考になれば幸いである。

  
文献)

1)      American Psychological Association : Ethical principles of psychologists and code of conduct. American Psychologist  57 : 1060–1073, 2002 
2)      Dewald, PA, Clark,RW (ed) : Ethics Case Book of the American Psychoanalytic Association, American Psychoanalytic Association, New York, 2001
3)      Gabbard, GO : The Early History of Boundary Violations In Psychoanalysis. Journal of the American Psychoanalytic Association 43 : 1115-1136, 1995
4)      Gabbard, GO : Speaking the Unspeakable: Institutional Reactions to Boundary Violations by Training Analysts. Journal of the American Psychoanalytic Association  49(2) : 659-673, 2001
5)      Gabbard, GO : Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Basic Text (Core Competencies in Psychotherapy) American Psychiatric Association Publishing, 2 Revised Edition, Arlington, 2010 (狩野力八郎監訳, 池田暁史 : 精神力動的精神療法基本テキスト. 岩崎学術出版社, 東京, 2012)
6)      Greenson, R : The Technique and Practice of Psychoanalysis. International Universities Press, Madison, 1967
7)  Hoffman, IZ : Ritual and Spontaneity in the Psychoanalytic Process. The Analytic Press, Hillsdale, London, 1998
8)      Kelly, D., Stich, S., et al : Harm, Affect, and the Moral/Conventional Distinction. Mind & Language  22(2) : 117131, 2007
9)      Lynn DJVaillant GE : Anonymity, neutrality, and confidentiality in the actual methods of Sigmund Freud: a review of 43 cases, 1907-1939. American Journal of  Psychiatry 155(2) : 163-71, 1998
10)   岡野憲一郎 : 精神分析のスキルとは(2) 現代的な精神分析の立場からみた治療技法 精神科 21(3):296-301,2012 
11)  岡野憲一郎 : 11 精神分析技法という観点から倫理問題を考える. 岡野編臨床場面での自己開示と倫理関係精神分析の展開. 岩崎学術出版社, 東京, pp142-155, 2016
12)  富樫公一 (2016) 精神分析の倫理的転回 -間主観性理論の発展. 岡野編臨床場面での自己開示と倫理関係精神分析の展開. 岩崎学術出版社, 東京, pp156-173
13)  Turiel, E : Distinct conceptual and developmental domains: social convention and morality. Nebraska Symposium of Motivation, 25 : 77-116, 1977
14)   Wallerstein, R : Forty-Two Lives in Treatment. The Guilford Press, New York, 1986