2017年12月24日日曜日

マインドフルネス 早わかり 2

 ここから少し自由連想だ。そもそもDMN、つまりマインドワンダリングの何が悪いのか、ということになる。要するにこれをしていない時間を増やせ、シーソーのようにワンダリングを抑制し、DLPFCも海馬も厚くなり、扁桃核が小さくなるよ、ということなのだ。しかしそれほどマインドワンダリングはいけないことなのだろうか? 例えば創造性について考えよう。自由連想でもいい。これはおそらくワンダリングからしか生じないのだ。ワンダリングは、言わば意識的な活動の力をふと緩めること。無意識に身をゆだねること。私は恥ずかしい話だが、ネクタイの結び方が時々わからなくなる。まあネクタイはいつも持ち歩いていても、実際に締めるのは年に1回か2回だから忘れても仕方がないが、問題はどうやって締めるのかを思い出そうとすると、かえって締められなくなることだ。何も考えないようにして手を動かすと自然と締められる。これはマインドワンダリングの一つの働き方だ。意識するとできなくなることはこのように多い。それにだ! 私たちはある種の意識的な活動を決行しているものだ。私がこうやって文章を書いている時も、数秒~数十秒の間集中して、つまりTPNを発揮して文字を打ち込み、それからコーヒーを一口飲む。たちまちワンダリングに逆戻り。これを繰り返しているのだ。半分はTPN,半分はリラックス。つまりいつでもやっていることなのに、どうしてマインドフル瞑想がいるのだろう? どうしてそれだけで、いつもは肥大することのないDLPFCが肥大するのだろうか? それと呼吸との組み合わせなのか? よくわからない。今一つ分からないのは、TPNは、意識の集中によるストレスとも関連があるということだ。あることに集中することは、交感神経刺激にもなり、ストレスホルモンであるコルチゾールも分泌し、海馬を小さくするはずである。ところが逆にマインドフルネスでは、海馬は大きく、扁桃核は小さくなるとされる。これはどういうことだろうか?
 疑問は続くが、先に行こう。今年の初めに書評をしたのが、ゲオルク・ノルトフ (), 高橋  (翻訳) 「脳はいかに意識をつくるのか脳の異常から心の謎に迫る」(白揚社, 2016年)という本。そこに出てきたのが、安静時活動という概念だが、これなどまさにデフォルトなのだ。ちょっと引用しよう。自己引用だから問題ないだろう。
 
脳における「安静時活動 resting-state activity」への注目であるという。それが「デフォルトモードネットワーク」の活動(アルツハイマー病においてその活動が最初に低下する部位としても知られる)に対応するのである。正中線領域(大脳皮質正中内部皮質構造、CMS)自己に特定的な刺激に特に対応。脳の一部でしか処理されていない情報は無意識にとどまるが、それが脳全体に広がる際に意識が生まれる。そしてその際ゲートキーパーの役割を果たすのが、前頭前野・頭頂野であるという。うつ病においては自己焦点化や身体焦点化が高まり、同時に環境焦点化の減退が見られる。つまり自分の自己意識や身体についての意識が過剰に高まる一方で、外界からの情報の処理が低下しているのだ。それはCMSの一部の活動高進と、正中線外の領域、例えば背外側前頭前皮質(DLPFC)などの速報の領域の活動は低下していることが分かっている。