2017年12月11日月曜日

愛着と精神分析 5

アラン・ショアの提唱する新しい愛着理論
神分析における愛着理論をその高みにまで進めた人としてアラン・ショアの名を挙げたい。ショアは愛着と分析理論と脳科学的な知見の融合を図る。早期の母子関係は現在は脳科学的な研究の対象ともなっているのだ。早期の母子間では極めて活発な情緒的な交流が行なわれ、両者の情動的な同調が起きる。そしてそこで体験された音や匂いや感情などの記憶が、右脳に極端に偏る形で貯蔵されているという。愛着が生じる生後の2年間は、脳の量が特に大きくなる時期であるが、右の脳の容積は左より優位に大きいという事実もその証左となっている (Matsuzawa, et al. 2001)。このように言語を獲得する以前に発達する右脳は、幼児の思考や情動の基本的なあり方を提供することになり、いわば人の心の基底をなすものという意味で、ショアは人間の右脳が精神分析的な無意識を事実上つかさどっているのだと主張する。
 右脳はそれ以外にも重要な役割を果たす。それは共感を体験することである。その共感の機能を中心的につかさどるのが、右脳の眼窩前頭部である。この部分は倫理的、道徳的な行動にも関連し、他人がどのような感情を持ち、どのように痛みを感じているかについての査定を行う部位であるという。(わかりやすく考えるならば、脳のこの部分が破壊されると、人は反社会的な行動を平気でするようになるということだ。)その意味で眼窩前頭部は超自我的な要素を持っているというのがショアの考えである。
 さらには眼窩前頭部は心に生じていることと現実との照合を行う上でも決定的な役割を持つ。これは自分が今考えていることが、現実にマッチしているのかという能力であるが、これと道徳的な関心という超自我的な要素と実は深く関連している。自分の言動が、今現在周囲の人々や出来事とどうかかわり、それにどのような影響を及ぼすのか。この外界からの入力と内的な空想とのすり合わせという非常に高次な自我、超自我機能を担っているのも眼窩前頭部なのである。
 ここでショアの提唱する無意識=右脳、という意味についてもう一度考えてみよう。一世紀前に精神分析的な心についてのフロイトの理論が注意を促したのは、私たちが意識できない部分、すなわち無意識の役割の大きさである。フロイトは無意識をそこで様々な法則が働くような秩序を備えた構造とみなしたり、欲動の渦巻く一種のカオスと捉えたりした。これはフロイトにとっても無意識はつかみどころがなかったことを示している。夢分析などを考案することで、彼は無意識の心の動きに関する法則を発見したかのように考えたのだろうが、決してそうではなかった。それが証拠に夢分析はフロイト以降決して「進歩」したとはいいがたい。つまりフロイトの時代から一世紀の間、無意識の理論は特に大きな進展を見せなかった一方で、心を扱うそれ以外の領域が急速に進歩した。その代表が脳科学であり発達理論なのである。
 以下「愛着トラウマと発達する右脳」(Schore, 2009)を参考にする。
ショアの愛着理論の中でも注目すべきなのは、「愛着トラウマ」という概念である。愛着関係は、それが障害された場合に乳児の心に深刻な問題を来たす。そしれそれは具体的な生理学的機序を有している。母親に感情の調節をしてもらえないことで乳児の交感神経系が興奮した状態が引き起こされる。そして心臓の鼓動や血圧が高進し、発汗が生じる。しかしそれに対する二次的な反応として、今度は副交感神経の興奮が起きる。すると今度は逆に鼓動は低下し、血圧も低下し、ちょうど擬死のような状態になる。この時特に興奮しているのが迷走神経系の中でも背側迷走神経(Porges, 2001)である。そしてショアはこの状態として解離現象を理解する。そしてこれがメアリー・エインスウォースのいわゆるタイプ D の愛着に対応するのである。
 ストレンジ・シチュエーションにおいては、このタイプDの子供は非常に興味深い反応を見せる。タイプA, B, Cの場合は、子供は親にしがみついたり、怒ったりという、比較的わかりやすいパターンを示す。しかしタイプDでは子供は混乱や失検討を示す。そしてショアによれば、この反応は解離と同義でり、虐待を受けた子供の80パーセントにみられるパターンであるという。つまりこのタイプDのパターンを示す子供の親はしばしば虐待的であり、子供にとっては恐ろしい存在なため、子供は親に安心して接近することが出来ない。逆に親から後ずさりをしたり、他人からも距離を置いて壁に向かっていったり、ということが起きるのだ。
 このように解離性障害を、「幼児期の(性的)トラウマ」によるものとしてみるのではなく、愛着の障害としてみることのメリットは大きい。そして特定の愛着パターンが解離性障害と関係するという所見は、時には理論や予想が先行しやすい解離の議論にかなり確固とした実証的な素地を与えてくれるのだ。
 このタイプ D について一言付け加えるなら、ショアはこれを示す赤ちゃんの行動は、活動と抑制の共存として特徴づけられるとする。つまり愛着対象であるはずの親に向かっていこうという傾向と、それを抑制するような傾向が同時に見られるのだ。ちょうど「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」と考えると分かりやすいかもしれない。そしてそれが、エネルギーの消費を伴う交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方が同時に賦活されている状態であり、解離症状を特徴付けているという。
 このタイプDに類似の反応を示す子供については、エドワード・トロニック E.Tronick らによる、いわゆる「能面パラダイム still-face procedure」の研究がある(Hesse, E., & Main, M. 2006).)。それによれば、子供に対面する親がいきなり表情を消して能面のようになると、子供はそれに恐れをなし、急に体を支えられなくなったり、目をそらせたり、抑うつ的になったり、といった解離のような反応を起こすというのだ。
 このタイプ D の愛着の概念が興味深いのは、そこで問題になっている解離様の反応は、実は母親の側にもみられるという点だ。母親は時には子供の前で恐怖の表情を示し、あたかも子供を恐れ、解離してしまうような表情を見せることがあるという。そして母親に起きた解離は、子供に恐怖反応を起こさせるアラームとなるというのだ。
 このことからショアが提唱していることは以下の点だ。幼児は幼いころに母親を通して、その情緒反応を自分の中に取り込んでいく。それはより具体的には、母親の特に右脳の皮質辺縁系のニューロンの発火パターンが取り入れられる、ということである。ちょうど子供が母親の発する言葉やアクセントを自分の中に取り込むように、脳の発火パターンそのものをコピーする、と考えるとわかりやすいであろう。そしてこれが、ストレスへの反応が世代間伝達を受けるということなのだ。それは一種刷り込みの現象にも似て、親の右脳の皮質辺縁系の回路が子供のそれに写し込まれるようにして成立するというわけである。


愛着と右脳
愛着や解離の理論において、特にショアが強調するのが、早期の発達過程における右脳の機能の優位性である。そもそも愛着とは、母親と子供の右脳の働きの同調により深まっていく。親は視線や声のトーン、あるいは体の接触を通して子どもと様々な情報を交換している。子供の感情や自律神経の状態は、母親の安定したそれらの状態によって調節されていくのだ。この時期は子供の中枢神経や自律神経が急速に育ち、成熟に向かい、それとともに子供は自分自身で感情や自律神経を調整するすべを学ぶ。究極的にはそれが当人の持つレジリエンスとなっていくのである。
 逆に愛着の失敗やトラウマ等で同調不全が生じた場合は、それが一種の右脳の機能不全を解して解離の病理につながっていく。ショアはこのことを、人間が生後の最初の一年でまず右脳から機能を発揮し始めるという事実と関連付ける。愛着がきちんと成立することは、右脳が正常な機能を獲得したということを意味する。子供が成長し、左右の海馬の機能などが備わり、時系列的な記憶が備わり始めるのは、4,5歳になってからだが、それ以前に生じたトラウマは、記憶としては残らないまでも、右脳の機能不全という形で刻印を残していく。上記のD型の愛着パターンは、右脳の独特の興奮のパターンに対応し、それがフラッシュバックのような過剰興奮の状態と解離のようなむしろ低下した活動状態のパターンの両方を形成する可能性があるというわけだ。
 通常はトラウマが生じた際は、体中のアラームが鳴り響き、過覚醒状態となる。そこで母親による慰撫 soothing が得られると、その過剰な興奮が徐々に和らぐ。しかしD型の愛着が形成されるような母子関係において、その慰撫が得られなかった際に生じると考えられるのがこの解離なのだ。それはいわば過覚醒が反跳する形で逆の弛緩へと向かった状態と捉えることが出来るだろう。
 そしてこのように解離は特に右脳の情緒的な情報の統合の低下を意味するため、右の前帯状回こそが解離の病理の座であるという説もあるという。
 ここでさらにショアの説を紹介するならば、右脳は左脳にも増して、大脳辺縁系やそのほかの皮質下の「闘争逃避」反応を生むような領域との連携を持つ。これは生後まずは右脳が働き始めるという事情を考えれば妥当な理解であろう。そして右脳の皮質と皮質下は通常は縦に連携をしているが、この連携が外れてしまうのが解離なのである。ここで大脳皮質というのは知覚などの外的な情報のインプットが生じる部位だ。それに比べて皮質下の辺縁系や自律神経は、体や心の内側からのインプットが生じる場所である。そして皮質はその内側からのインプットを基本的には抑制する働きがある。そのことは、この抑制が外れるとき、例えばお酒を飲んだ時にどうなるかを考えればよりよく理解できるだろう。