2017年5月22日月曜日

未収録論文 ⑯

いつか分析協会で発表した内容。これはちょっと収録できないな・・・。精神分析が週4回行われることに対する治療者の側の思い入れがとても気になっていたときに書いた論文である。

「分析状況」に関する一考察

1.はじめに

 精神分析状況とは不思議なものである。週に4セッションないし5セッションというプロセスがいったん開始すると、たまたま休みが重なって次回のセッションまで一週間ほど空いただけで、患者はすでにそこに物足りなさを感じるようになる。通常は週一度のセッションでもかなり高頻度であると感じられることもあるのに、どうしてそのようなことが起きるのであろうか。それは週4回という頻度が醸す一定のリズムや雰囲気や、それにより作り出される一種の心的な距離の近さ、ないしは親密さのせいであろう。患者は次回まであいた一週間という時間的な距離を、心的な距離の遠さと感じ、そこからくる物足りなさや寂しさを訴えているようでもある。そしてそれは治療者である報告者の心の中にも、わずかではあるが、ある種の寂しさを生むのである。
 週に4回ないし5回という設定の精神分析的な状況が、ある意味で特殊な人間関係を生むこと、そしてそれが場合によっては退行促進的であるということはこれまでも論じられてきた。そしてそれが一方では非常に洞察的で非・支持的な治療形態とされる精神分析療法にある種のパラドクスを与えていることも確かであろう。
        (以下略)


今回報告者が描く治療関係は、かつて週一度の精神療法を行ったケースである。それが週に頻回会うという治療構造を新たに設定してそれが開始されることで、そこにさまざまな変化が生じた。その中でも特に問題として浮かび上がったのが、この親密さの問題である。それに関して報告者が持ったいくつかの体験やそれに関する考察について触れたい。