2017年4月6日木曜日

脳科学と精神分析 ④

新・無意識の理解に基づく治療論
新・無意識という概念はいわば試みとして提唱され始めた段階であり、それに基づいた治療論が特別に存在するわけではない。
  エナクトメント(?)としての治療者、患者の言動
しかしこれまで提唱されている新・無意識の性質から、かなり直接的に導かれ得る治療上の心得がある。一つは心の動きの非線形性についてである。言葉や行動を通して示される人間の言動は、不連続的であり、予測不可能性が非常に高い。そのように考えると患者、治療者の言動はそれが無意識的な心の動きに支配され、その象徴としての意味を有するというよりは、むしろエナクトメントと言うニュアンスが付きまとう。ただしこのエナクトメントという言葉にもすでに、先に述べた後成的前提 epigenetic assumption が入り込んでいる。エナクトメントは自らも気が付いていなかった意味を表していた、と考えるからである。しかし言葉はむしろ、それがダーウィン的な選択を受けながらも最初に出てしまい、自己はそれを後付するというニュアンスがある以上、言葉の裏や無意識的な動機を探るという図式が危うくなることになる。すると必然的に言葉の表層を字義通りに扱うという手段に訴えざるを得なくなるだろう。もちろんそれは言葉をその人の真意として捉えましょう、という意味でではないし、その言葉の(意識レベルでの)真意を捉えましょう、ということでもない。それはどこかに本質を前提とするいわゆる実証主義的 positivistic な考えに陥ってしまう。言葉の真意を探ることと、言葉の無意識的な動機を探ることは、結局同様の誤謬に陥っているということになる。
少しわかりやすい例を挙げよう。
治療者:この治療が始まってひと月たちますが、どんな感じですか?
患者: … ええ、とても自由に話せる雰囲気だと思います。
治療者:そうですか。それはよかったです。
とても短いやり取りだが、ここで無意識レベルを考えるとしたら、例えば「患者は私に対してそのように言うことで無意識的に迎合的になっているのではないか?」「すぐに言葉が出なかったところを見ると、実は無意識レベルでは不満もあるのではないか?
意識レベルで考えるとしたら、字義通りに取るとしたら、「ああ、それはよかった。患者はここに居心地の良さを感じているようだ。」となるだろうが、意識レベルの真意を探るとしたら、「本当は居心地の悪さを感じているのではないか?
ここで「無意識レベルでは・・・・」も「意識レベルでは本当は・・・・」もあまり変わらないことに気が付くであろう。実は分析家が「無意識レベルで・・・・」という時も、実は前意識レベルで、という程度で言っていることが圧倒的に多い。さもなければ治療関係は雲をつかむような、ある意味では被害妄想的な関係に陥ることになる。なぜならば、「とても自由に話せる、とおっしゃいましたが、今日は治療に5分遅れてきましたね。それはあなたが無意識的に私との治療に苦痛を感じて避けようとしていることを意味しているのでしょう」ということになってしまう。もちろんこれとて間違っているという証明もできないわけだが。