2017年3月5日日曜日

ナルな人たち 書き直し ⑤

この部分全面書き直し
六〇、七〇年代の学生運動の闘士たちに対する批判は数多く論じられた。かの土居健郎先生は「甘えの構造」(1971) の中で、現代社会(と言っても当時のことだが) においては明確な敵が存在せず、また父親的な権力をふるう存在もなく、学生は当分「力試し」に明け暮れるであろうと論じた。そして権威に挑戦しつつもみずからはアカデミズムの世界に身を置き、親から養ってもらっている立場を甘えの文脈から論じた。
土居健郎 (1971) 甘えの構造 弘文堂 
さて私はこの甘え世代の活動家の方々をかなり身近に見てきた経験がある。実は私が卒業後に所属した大学の精神科は、10年先輩に多くの元活動家の先生方がいらした。そして押しなべて彼らは穏やかで優しい方々なのだ。彼らの政治的な活動についてはよくわからないが、臨床医になるともう患者のケアで手いっぱいになるものだ。しかし彼らは普通の精神科医とはいい意味で一味違っているという印象を受ける。彼らはアカデミズムに手を染めることが少ない。同世代の多くが臨床の傍ら実験を行い、博士論文を書き、ともすれば患者をデータを供給してくれる方々としてみてしまう傾向を持つとしたら、彼らは真逆である。彼らはおおむね、旧態然とした収容施設のような精神病院を変革する運動に身を投じた。昔は薄暗く、牢獄のようだった精神病院が明るいフレンドリーな施設に姿を変えていった。彼らはおおむねそれらの病院施設で優しい父親として、患者から愛される臨床家として活動を続けていった。○○大学教授、という肩書など彼らには無縁のようである。彼らがコンビニで、デパートで商品にクレームを付けたり返品を要求したりしているという話は聞かない。
そこで私はやはり同じような結論に行き着く。モンスター的な振る舞いを見せる多くの人は、ごく普通の人である。でも人生の一時期、声高に要求し、自己主張を繰り返すモードに突入する。あたかもそのようなスイッチが私たちのどこかに潜んでいるかのようである。
かく言う私も人生の中で数度モンスター化した記憶があることを告白しなくてはならない。とあるサービスを購入し、不具合が生じてカスタマーサービスに電話をした。いつものパスワードを入れてもログオン出来ない、どうしたらいいだろう、という感じで始まった。最初は私も穏やかだったが、電話口の女性の「正しいパスワードを入れてもログオンできない、と言うことはありません。間違ったパスワードを入れていませんか?」という言葉にキレてしまった。「お願いだから、あたかも私が間違ったパスワードを入れていると決めつけないでください!たった四ケタの、いつも使っているパスワードですよ。相手も機械だから、そんなことだってあり得るでしょう?」といつになく興奮している。声が震えて、泣きそうになっているのがわかる。こんなに怒ったのは何年振りだろう?などと考えつつも勢いは止まらなかった。電話口の係の女性はさぞ困ったことだろう。「絶対クレーマーと思われているよなあ。」と憤慨しつつ電話を切った。そしてそのあと冷静に考えると、私はいつも使う4ケタのパスワードを二つ持っていたのだ。そしていつも使うはずのとは別のパスワードを一生懸命入れていたわけである。

というわけで、モンスターの大部分は普通の人である、ということを私は主張したわけだが、モンスター化しやすい一定の人々もいるであろうことも確かである。それらの人々は被害的になり易く、ある種のパーソナリティ障害を備えている可能性があるだろう。そしてそれらの人々の多くは、本書で論じている自己愛パーソナリティに属するのである。