2017年3月18日土曜日

精神療法の強度 推敲 ①

すでに何回も推敲しているが、止まらない
はじめに
この様な企画に参加させていただくことを非常にありがたく思っています。そこでこの機会に、なかなか他の場ではいえないことをお伝えしたいと思います。
 まずはこの週に一度のセッションというテーマから始めますが、私にはどうもこのテーマについては、「週一度で申し訳ありません。でもそれなりに立派に仕事が出来ますよ。」という apologetic (謝罪的)なニュアンスを感じます。「精神分析は本当は週に度以上なんですが、週に一度だってそれなりに意味があります。でもたった週に一度であるという立場をわきまえていますよ。もちろん正式な精神分析とは言えないことは分かっています。」と言っているようです。しかしそれは同時に一種の戒めでもあります。「まさか週に一度さえ守れていないことはないでしょうね。」「週に一度は最低ラインですよ、これ以下はもう精神分析的な療法とは言えませんよ」という一種の超自我的な声に対するものでもあるのです。さらにこの声は時間についても言っています。「一回45分ないし50分のセッションでなければお話になりませんよ。それ以下では意味がありませんよ」、という戒めでもあります。
 私はあらゆる決まり事、特に暗黙の裡の決まり事に対して、いったんは疑うことにしています。特に現実と遊離しているように感じられる決まりごとに対してはそういたします。自然の(ことわり)を教えてくれるようなノンフィクションや自然科学に関しては極めて強い親和性を感じます。心理の世界では臨床例以実証研究脳科学がそれに相当します。「週一度以上一回
50分でなくてはならぬ」にも同様にそれを疑う気持ちがどこかにあります。もちろん週一回、50分できたらどんなにいいだろう、という気持ちもそこには含まれます。週4回は私はあるケースについては実行していますし、それを理想化する部分が確かに私の中でもあります。しかし私が持っている患者さんの多くにとってそれが満たされない以上、この原則は私にとって非常に不都合なものでもあるのです。