2016年11月21日月曜日

解離 推敲 ②

解離の定義


解離をどのように定義づけるかについては、1980年のDSM-の時代とほとんど変わっていないといってよい。DSM-5においては、「解離性障害群の特徴は、意識、記憶、同一性、情動、知覚、身体表象、運動制御、行動の正常な統合における破綻およりまたは不連続である。」(DSM-5)となっている。一方ICD-11ベータ試案ではどうか? こちらも「解離性障害は、記憶、思考、同一性、情動、感覚、知覚、動作、体の動きの統御の正常な統合の、不随意的な破綻や不連続性により特徴づけられる。」とある。つまり両者は全くと言っていいほど同じである。人間は記憶、思考、同一性、…を通常は統合している。そしてその「統合の破綻」が解離である、という考えだ。しかも興味深いことにDSM-5では転換性障害(変換症、conversion disorder)を「身体症状症および関連症群」という別のカテゴリーにふくませながらも、「統合の破綻」の対象として、知覚や運動制御を含ませていることで、実質的に転換症状も解離の一部であるという立場を表明していることになる。
 ただこの定義には様々な問題がある。一つには日本語で解離を「統合の破綻」としながら、他方で「統合失調症」という、同様に統合の破綻や失敗を示唆する状態が、解離性障害とは実質的に全く異なる schizophrenia を指すという、日本語ならではの問題である。統合失調症という語が生まれた歴史的な経緯を考えた場合にはやむを得ないであろうが、もう一つはこの定義がいわゆる解離性障害の「陰性症状」に関するものであるというニュアンスがある点が問題なのである。実際は身体運動や感覚が乗っ取られたり、別人格に支配されたりするという、「統合の破綻」の結果として様々な陽性症状が生じることは留意すべきであろう。しかしいずれにせよ解離の機序はあまりに不明な点が多く、そのためにこのような漠然とした定義に甘んじるしかないというのが実情であろう。解離の本体は謎、正体不明と言わざるを得ない。