2016年11月13日日曜日

新・無意識の性質 ②

●     「新・無意識」の実体は巨大なニューラルネットワークであり、そこでは予測誤差を基にした強化学習(ディープラーニング、深層学習)が常に自動的に行われる

この点は、これまでも説明したとおりです。新・無意識は、報酬系や動因システムを除けば、いわば巨大なコンピューターであり、情報処理をすると共に学習を行っています。その基本的な仕組みはディープラーニングないし強化学習です。ある行動を起こしたらこんなことが起きた、快ならそれを強化し、不快ならそれを抑制する。赤ん坊はそれこそ泣き叫び、手足を振り回すところからその学習を始めます。一見まったく統制の取れていない手足の動きや顔の表情の変化。しかしそれは「こうしたらこうなるのだ」という学習を開始し始めているのです。ただしいくつかのプログラムは生まれたときからすでに出来上がっています。おっぱいを差し出されたらそれを吸い付くというプログラムはもう出来ている。あるいはお母さんに向かってハグし、しがみつくという原始反射を備えています。あるいはミラーニューロンのように、目の前で誰かに行われた行動を自分の中にコピーするというプログラムもありますので、この学習は殆ど自動的に、努力もなく起こるいっていいでしょう。
ところでこの「予測誤差を基にした強化学習」という意味はお分かりいただけるでしょうか?ニューラルネットワークは学習を積むと共に、ある刺激を受けると、それが何を生むかについて予測できるようになります。例えばコップをつかもうとするときは、こんな風に腕を伸ばして、このぐらいの力で握ったらうまくつかめるだろう、という風に。それがうまく行けば、それが強化されますが、その力が弱すぎたらそこに誤差が生じ、それを次回から訂正しようということになります。これは小脳のレベルで行われることですが、これを繰り返していくわけです。

●      ニューラルネットワークは事実上複雑系として動作する

そう。新無意識はその行動様式がわかっていない。というよりは複雑系である以上は、それが読めない、あるいはおおまかなデザイン以外は存在しない、というのが正解と言う事になる。心の振る舞いがわからないのは、例えば市場経済がどのように動いていくかとか、台風がどのような動きをするのか、とか、パチンコ玉が弾かれた後にどのような軌道をたどるのか、という問題に近い。その大体の動きはわかっても、余りに多くの要素によりその軌道が左右される。例えばパチンコだまは大体上から下に流れるが、どの釘でどのように跳ね返るかは予想が出来ない。人の心もダーウィニズムの結果が同動くはが分からない。

●   意識の次の瞬間の内容は新・無意識のうち前意識野のレベルで生じた候補者の中からダーウィニズム(適者生存の原則、ただし何が「適者」かは曖昧)に従って創り出され、それが主体性、自立性の感覚を伴って意識野に押し出される。(新無意識が意識内容を決める「サイコロを振って」いる。) すなわち意識活動とは、新・無意識において生じる創発と理解することが出来るのである

さてここが一番分かりにくいところかもしれませんが、がんばって説明します。意識がさまざまな学習を行っていくうちに、そこにはさまざまな思考やファンタジーや願望がどんどん生まれてくることになります。そのかなりの部分は記憶の断片といっていいかもしれません。ミュージシャンだったら旋律の断片、歌人ならこどばの断片が行きかっています。話をしているときも言葉の断片が沢山浮かびます。それらはおそらく付いたり離れたりしながらさまざまな組み合わせを試しています。するとと例えば音楽なら、あるメロディーが浮かび、それがこれまでに聞いたことないものだったりします。例えばメロディーの断片A,B,C,Dのうち、A,B,C,とかA,C,Dならすでに存在する。ところが新・無意識はC,D,A とか
C,D,Bなどのこれまでにない組み合わせも生み出してきます。その中でこれはいい、というのがおそらく意識の間近まで浮かんできてピックアップされます。歌人なら句の最初の一行が、あるいは全体が「突然降ってくる」、という言い方をします。これがダーウィン的なのです。言葉なら、例えば私が今の心境を語ろうとする時、辛い、痛い、苦しい、といういくつかの表現に混じって物悲しいが浮かび、その中から物悲しいが選択されます。それは候補に上がったあとに、これは良い、とたちまちのうちに多数決で優位を占めて、つまり脳内のエリアで領地を広げた挙句に、新・無意識が振るのさいころの目として出てきます。意識はそれを自分が選んだと体験しますが、少しニュアンスが違っていると「ウーン、物悲しいというのともちょっと違うなあ」と訂正を求めてきます。
皆さんはこの言葉のダーウィニズムが物質の結合とそっくりであることに気がつくと思います。私たちの体の中で、例えばある受容体にセロトニンがくっつくというのはどういうことかといえば、セロトニンの受容体に、沢山の分子が近づいては、鍵と鍵穴の関係がうまく行かずに去っていきます。ところがセロトニンだとうまくリセプターについて、そこで信号の伝達が起きます。あるいはたんぱく質が合成される時も、遺伝子の配列にそってさまざまな分子が接近しますが、適当なアミノ酸分子だと、これだと前会一致で決まります。ところがちょっと構造の似た分子だと付きかけて離れる、あるいは間違って付いてしまって間違ったたんぱく質が合成されるということが起きるのでしょう。

● 言動、ファンタジー、夢などは、その背後に明確な動因が存在しない場合が多い。(細かい複数の動因はたくさん存在し、それらが重層決定(フロイト)する)

 さてそのように考えると、言動やファンタジー、夢などはかなり恣意的でいい加減ということになります。夢についての池谷先生の説明を先ほどしましたが、曲でもそれ以外の創作活動でも、さまざまな組み合わせが試される。では何が選ばれるか。新皮質に占める面積の拡大、ということですが何がその領土拡大につながるのか。それを決定している要素は不明なのでしょう。それは単純に快感原則に従っているというのではないかもしれません。例えばある曲が浮かぶとき、それはそれが快感を生むから、というよりは新奇性、ユニークさ、ないしはサリエンス(突出していること)がものをいっているのかもしれません。ある旋律が斬新だったら、それは新・無意識の中で突出し、意識野に送られてくるでしょう。それは結局は心地良い情報、ということが出来るでしょう。しかし外傷体験のフラッシュバックのことを考えたら、ダーウィニズムを支配しているのが単純な快感原則ではないことはお分かりでしょう。おそらくトラウマ記憶にはそれに独自の振る舞いがあり、新・無意識の中でもそれに引っ張られる形なのでしょう。