2016年10月26日水曜日

退行 ⑬

そして
松木先生によるウィニコットの退行論

松木邦裕先生のウィニコットの退行論もよくまとまっていてわかりやすい。ウィニコットは親からの侵害が偽りの自己を作る、という例のロジックだが、ここで言っていることがすごい。要するに「分析過程での重要な特徴はすべて患者に由来する」のであり、それは退行も同じというわけだ。治療において治療者は必ず何らかの失敗をするが、それ自体が患者の無意識の希望を刺激し、過去の侵襲の状況が転移的に再現されるという。患者によっては解釈という分析の言語的な介入を利用できないので、抱えるというマネージメントが必要になるという。しかし同時にウィニコットは「分析家が患者に退行してほしいと望むべき理由などない。あるとしたら、それは酷く病的な理由である(Winnicott 1955)とも言っていることを松木は強調する。つまり「患者を退行させよう」というのは邪(よこしまだというわけだ。これもよくわかる。
さてここから松木先生独自の退行論に入っていくが、これが面白い。彼は1994年に分析研究誌に掲載された「退行について―その批判的討論」という論文がいかに難産だったかを、当時の分析研究の編集委員会の内情なども暴露しつつ語る。要するに、彼の論文の最初のタイトル「退行という概念はいまだ精神分析的治療に必要なのだろうか?」がラジカルすぎて、物議をかもしたというのだ。彼の趣旨は、退行は一者心理学的で、しかも過去志向である。しかし転移なら二者心理学的で、未来志向的である。そしてそのような視点は、バリントにはあまりなく、彼が退行を重視し過ぎたのに比べて、ウィニコットは転移の視点を入れている点で、評価に値する、という。