2016年9月27日火曜日

トラウマ概念再々考 4

ここで流れに乗って、フロイト(1919)が『戦争神経症の精神分析にむけて』への緒言(フロイト全集、16 p109113)で何を書いているかを振り返る。決して脱線ではない。当時は第一次世界大戦の影響で、この「謎めいた病気」(フロイトの言葉。要するに戦争神経症、すなわちPTSD)を分析的にどのように考えるかという動きがあった。しかし終戦と同時に、この病気は消えてしまった、とフロイトは言う。そして、「心因性の症状、無意識的な欲動の蠢きの意味、心の葛藤を解決するための一時的疾病利得の役割は、戦争神経症においてもそのまま確認され」た、と言っている。ヒエー!すごい自信。フロイトはこれにより医師たちが精神分析に興味を持ってくれるのはうれしいものの、さらに精神分析を誤解するきっかけになったら困る、という言い方をしている。そして戦争神経症は一見性的な問題とは無関係であることを認め、戦争神経症と、「平和時の転移神経症」を分けるような言い方をしている。そして転移神経症は、内的な敵、すなわち欲動を相手にするものであり、戦争時は一過性の、外的な敵を相手にするものの、それは戦争が終わってしまえばおさまってしまい、再び内的な敵を相手にしなくてはならなくなる、という言い方をしている。現代的な見方からは、おそらくPTSDは決して戦争や外傷が終わってもそれでは容易に終わることがないこと、そして転移神経症における性的な原因は、フロイトのこのテーマの固執によるもの、と言わざるを得ないだろう。最近の愛着トラウマの観点からは、実は平和時の神経症においても、神経症の要因として考えられるのは、やはり幼少時のトラウマなのである。しかしそれはやはり、主観的なトラウマ、加害者の見えないトラウマというしかない。