2016年9月25日日曜日

退行 ②

退行についてほっておいたな。これも期日が迫っている。

覚醒時は知覚系 → 随意運動だが、睡眠中は逆行して、心的興奮→知覚系になるという。でもフロイトの時代の、プリミティブな脳科学に基づいた仮説ともいえる。夢は覚醒時とは真逆ですよ、と言うフロイトの仮説を前提にした理論、という感じがするのだ。
ところでそもそも退行って何だろう?やはりバリントの「悪性の退行」の概念が秀逸だな。良性の退行はARISE(自我のための適応的な退行)ということだ。良性の退行は、構造を守り、退行している自分を見守っていて、また通常の自分にいつでも戻れる。全体的にアズイフ的。ところが悪性の退行はもう子供になりきってしまう。本気になって退行し、感情を表現し、周囲を困らせる。自分で自分を律することが出来ない。興味深いのは、この悪性退行は、飲酒による「手の付けられなさ」に似ていること。飲酒でもクダを巻いて羽目を外して、時には警察が呼ばれることにまでなる。本人はそれを翌朝おぼえていず、事態を知らされて真っ青になるなどのことが起きる。おきていることはかなり純粋に生物学的なことだ。
 私が体験した例では、悪性の退行では一種の嗜癖的な対象へのしがみつきがある。よくないと思っても付きまとう、などの事態が生じる。歯止めが効かなくなる。それが悪性の退行の特徴だ。しかし繰り返すが、「退行」ってナンだ?そのしがみつきが精神や神経の発達の初期の段階に逆戻りをする、と言うニュアンス。いわば変質degeneration をも思い浮かばせるニュアンスがある。それがフロイトの思考を経ると、子供時代に戻ってしまうこと、となる。いわば子供の心はニュアンス的には病理を含むことになる。例えば「彼は完全に肛門期に退行しているね」といった場合、肛門期をある種の病理性を含んだものとして捉えるというニュアンスがある。そう、このように退行という概念にはある種の価値基準が持ち込まれているのである。おっと、脱線が過ぎた。引き続き「辞典」における小此木先生の記載を読む。