2016年9月22日木曜日

自己愛と怒り ②

ところで自己愛と怒りについて調べると、フロイトがすでに「自己愛損傷」について触れていたという記述にぶつかる。こんな感じ。
引用元 http://purplebaby.opal.ne.jp/2013/06/post-115.html

「自己愛損傷(or自己愛傷痕)はジクムント・フロイトによって1920年に使われたフレーズで、自己愛創傷および自己愛打撃は程度がそれ以上であって、相互にほぼ代替可能な用語である。・・・ 1914年の『狼男』の症例研究でフロイトは、後期の大人になってからの神経症の原因を、『彼は、彼の淋病の感染が彼の身体の深刻な傷になると考えることを強いられた。彼のナルシシズムに対するこの打撃が彼にとって過大なものであり、彼はバラバラになった』時点であると識別した。数年後、「快感原則の彼岸」においてフロイトは、幼児性欲への不可避的な退行から判断して、「愛の喪失やしくじりがそれらの背後に自己愛に対する恒常的な損傷を自己愛傷痕の形で残す、... 彼が『嘲笑』されたところの最大限の反映によって」と主張した。1923年に彼が付け加えたのは、「吸った後の母親の乳房が失われる経験から、また大便の日常的な引渡しからの、身体的喪失を通すことによって自己愛損傷の着想を獲得する」喪失はその後「この喪失の着想が男性器に結びついた」時に去勢コンプレックスに流れ込む。一方で1925年には彼はよく知られているように、「女性が彼女のナルシシズムへの傷に気付いたのちに、彼女は傷痕のように劣等感を発展させる」とするペニス羨望に関して付け加えた。・・・フロイトが彼の最晩年の著書で『自己に対する早期の損傷(自己愛に対する損傷)』と呼んだものは結果的に幅広い様々な精神分析家によって拡大された。カール・アブラハムは大人の抑鬱のキーが、自己愛備給の喪失を経由したナルシシズムに対する打撃の幼児体験にあるとみなした。オットー・フェニシェルは抑鬱における自己愛損傷の重要性を確認し、境界性人格を包含するためにその分析を拡大した。・・・エドムンド・グラバーは、ナルシシズムにおける幼児的全能感の重要性と、自己愛的全能感への何らかの打撃のあとにくる憤怒を強調した。また一方で、ラカン派は、自己愛創傷におけるフロイトを自己愛的鏡像段階におけるラカンに結びつけた。」


正直言ってフロイトのこの記述を知らなかった。英語版のwiki(https://en.wikipedia.org/wiki/Narcissistic_rage_and_narcissistic_injury)読むと、フロイトが「標準版」で使っている用語がわかる。


In his 1914 case study of the "Wolfman", Freud identified the cause of the latter's adult neurosis as the moment when "he was forced to realise that his gonorrheal infection constituted a serious injury to his body. The blow to his narcissism was too much for him and he went to pieces".[4] A few years later, in Beyond the Pleasure Principle, looking at the inevitable setbacks of childhood sexuality, Freud maintained that "loss of love and failure leave behind them a permanent injury to self-regard in the form of a narcissistic scar... reflecting the full extent to which he has been 'scorned'" In 1923 he added that "a child gets the idea of a narcissistic injury through a bodily loss from the experience of losing his mother's breast after sucking, & from the daily surrender of his faeces" – losses that would then feed into the castration complex when "this idea of a loss has been connected with the male genitals";[6] while in 1925 he famously added with respect to penis envy that "after a woman has become aware of the wound to her narcissism, she develops, like a scar, a sense of inferiority".

でも考えてみると、フロイトはなぜこの程度の記述でおしまいにしているのだろう?フロイトの人生ですぐ思い出すのが、父親がユダヤ人め、と帽子を落とされたというエピソードである。以下は以前に私がブログで書いたものの自己剽窃である。

フロイトの人生を思う時、「夢判断」(Freud, 1900)において彼自身が語っている有名なシーンがある。フロイトの父ヤコブが、ユダヤ人であるというだけで人から罵倒されて帽子をどぶに落とされた時に、ヤコブはそれに立ち向かわずに、落とされた帽子を黙って拾って立ち去ったという話である。それを聞いた時の幼いフロイトの反応は、無力な父親に対する情けなさや恥の感覚であったに違いない。フロイトは後の人生ではそれを強気ではね返すことを旨としたようである。彼は人間の心に常にポジティブな欲動や攻撃性を想定することで、父親や自分の中に潜む無力感や弱さを合理化していたのではないだろうか? それが「恥は本来は恥ずべきことではない事柄に対する防衛として生まれた」という先述のフロイトの議論につながるのである。