2016年8月31日水曜日

推敲 13 ⑥

しかしこれにはもう少し事情があるらしい。米国で大恐慌が起きたころ、時給で働いていた消防夫の中には、故意に野に火を放つ人もあったという。要するに自分で仕事を作っていたわけだ。大火事になる前に消し止めるのであれば、それだけ罪の意識も軽かったのである。「消防夫は放火癖でもあるというのは都市伝説にすぎない」と断言できるには、事態は複雑すぎるということらしい。
 ある米国の研究では、182の火事を起こした75人の消防夫は、パワーと興奮を欲していたというが、そもそもこのような統計がとられることからも、放火を起こす消防夫は実際にかなりの数がいるらしいという疑いも、また完全に否定はされないというところもある。
 
少し距離を置いて眺めよう。「放火ハイ」、などというテーマで始めたが、そもそもそのような概念自体が妥当なのか?ある学者は、そもそも放火癖 pyromania という概念そのものが都市伝説化しているともいう。そもそも彼らが放火することに性的な快感を覚えるというのは、フロイトの説からきているという。フロイトによれば、放火癖は大部分が夜尿症であった男性であり、放尿により火を
コントロールしたいという願望が隠されているという。しかし現代の精神医学者は、放火癖の人の中で性的興奮を体験するのは極めて少数であるというのだ。
 ある研究によれば、刑務所にいる150人の放火犯を調査したところ、精神医学で用いられている放火癖に見合う人は一人もいなかったという。彼らの放火の動機はいずれかに分類された。興奮、仕返し、金銭的な見返り、ほかの事件のカバーアップであったという。(興奮、というのは放火癖に特徴的ではないかと思うのだが・・・・・。)
別の研究では、放火犯の半分は未成年であり、怒りの表現やストレスの発散、あるいは注意をひくためなど、様々な理由があるという。そして放火は、それ以外の精神的な症状に乗っかったものというのだ。実際に法務省の発行する犯罪白書(平成27年度版)を参照しても、放火約600件のうち、精神障害の影響とみられるのは、17.4にとどまっている。つまり放火癖などの精神障害による放火は六分の一程度ということだ。(ただしここには差引勘定がある。この中には放火癖以外の精神障害、例えば統合失調症や薬物中毒なども含まれる。もちろんすべてが放火癖ではない。また実際には放火癖であっても、純粋の犯罪とみなされて精神障害にカウントされない人たちも大勢いる可能性があるのだ。)
 最後に日本でも戦後大きな話題になった金閣寺の放火について一言。19507月に、あの金閣寺が放火にあい、焼失した。当時はよほど騒がれたことだろう。しかしこれも犯人は放火癖とは異なるようだ。金閣寺子弟の見習い僧侶の大学生(当時21歳)が放火ののち行方不明になり、捜索が行われたが、夕方になり寺の裏にある左大文字山の山中で睡眠薬を飲み切腹してうずくまっていたところを発見され、放火の容疑で逮捕した。なお、林は救命処置により一命を取り留めている。取調べによる供述では、動機として「世間を騒がせたかった」や「社会への復讐のため」などとしていた。しかし実際には自身が病弱であること、重度の吃音症であること、実家の母から過大な期待を寄せられていることのほか、同寺が観光客の参観料で運営されており僧侶よりも事務方が幅を利かせていると見ていたこともあり、厭世感情からくる複雑な感情が入り乱れていたとされる。ちなみにこの事件が三島により「金閣寺」として小説化されたことは知られる。その彼の分析した放火の原因。「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」(ほんとかいな。)後日談だが、犯人はのちに精神鑑定を受け、服役中に統合失調症を発症し、その数年後の1956年に後病死している。
 最後に私の個人的な考えである。放火の特徴は、たったマッチ一本で大事件を起こすということだ。ある建造物が、そのごく一部に火を放つだけで、数分後には業火に包まれるのだ。壮大なドミノ効果である。しかも「凶器」はコンビニで簡単に、しかも怪しまれることが一切なく購入できるライターなのだ。それに夢中になり、興奮を覚える人間がいて不思議ではない。放火は究極の復讐や破壊行為であり、攻撃性の発露として選ばれる手段の中でも特殊なのである。何も放火癖でなくても、放火は犯罪の手段としていくらでも選ばれる可能性があるのだろう。