2016年7月24日日曜日

推敲 2 ①

射幸心という名の悪魔

たかが(くぎ)、されど(くぎ)

「射幸心」という言葉を聞いたことがあるだろうか?英語では「ギャンブリング・スピリット」( gambling spirit、ギャンブル魂)とか言うらしいが、それでは雰囲気が出ない。思わず賭けてみたくなる、賭け心をそそられる、ということだ。「射幸心」とは字通り考えれば、幸福という的(まと)を矢で射抜きたいという願望ということになるが、そこにアヤしいギャンブルのにおいがある。射幸心は私たち人間が持つ根深い願望であり、ギャンブルの胴元はそれを巧みに刺激して、ギャンブラーたちを破滅への道に誘いこむのだ。いったいこの射幸心とは、報酬系とどのように関係しているのかを考えよう。
 わが国では、ギャンブルといえば、パチンコや競馬である。これらの公営ギャンブルは、「遊戯」ということになっているようだ。だから公営ギャンブルという呼び方も正式なものではなく、公営競技というらしい。(遊戯などとよくも言ったものである。)
 呼び方はともかく、ギャンブルが、本当の意味での「遊戯、競技」とどこが違うのかを、人は考えたことがあるだろうか?それは射幸心が介在しているか否か、ということになる。それでは射幸心とは何か?
身近な例から取り上げよう。パチンコは日本に特有の「遊戯」であり、もちろん単なる遊びにはとどまっていない。年間200300もそれにつぎ込む「ヘビーユーザー」たちが産業を支えているともいう。その業界で最近問題になっているのが、「クギ曲げ問題」であるという。簡単に言えば、釘の間隔をペンチか何かでビミョーに操作することで、射幸心を増すという違法行為だ。私もこれまで23回くらいならパチンコをやったことがあるのでわかるが、球を弾いて台の頂上付近で落下させようとする。その一番著上にある穴が「中央入賞口」だというそうだ。そこに入ると大当たりだが、その周辺に玉がたいてい逸れる。すると運が良ければ小口の「一般入賞口」に入り、それ以外の大部分の球はどこにもカスらずに台の下まで落ちて、中央の穴から吸い込まれていってしまう。
さてパチンコ台の頂上にある「中央口」と「一般口」(長たらしいからこう呼ぶことにしよう)に玉が入る確率は業界で定められていて、それを満たすような釘の間隔というのが存在する。要するに中央口の入り口付近の釘はその間隔が狭いためにそこに入りづらく、一般口のそれは少し広いから入りやすい。ところがパチンコの業者はそれを勝手に曲げてしまい、「中央口」に入りやすく、「一般口」には入りにくくする。するとパチンコを打つ側の心理としては、「ダメもとだが一発勝負」になりやすく、それが格段に「遊技者」のやる気を引き出す。そしてこの「やる気」こそが射幸心というわけだ。
ではどうして警察もそのような題を規制しないかということであるが、実はパチンコ台を検査する「保安通信協会」には警察OBが入っているというのだから、検査がアマくなるのは当然と言わなければならない。
ちなみにこの問題が深刻なのは、レジャー白書によると、パチンコにおける1人当たりの平均消費金額は1989年が年間50万円ほどだったのに対し、2014年は年間300万円ほどと約6倍に跳ね上がっているという事情があるからであるという。そして少なくともその一部には釘曲げ(正式には「釘調整」という)という本来違法な行為が関与しているという。

釘を調整することで、中央口だけ入りやすく、一般口が入りにくいという操作が、どうして射幸心を増すかは、おそらくピンとこないだろう。私も来ないが、おそらくしばらくパチンコを打っているうちに、体感できてくるのだろう。理屈では説明できなくても。そしてそこには確かに脳科学的な根拠があるのだ。


負けるほど熱くなる

ところで射幸心がなぜこれほど問題になるのだろうか?それはこれを刺激することで人は容易に身を持ち崩してしまうからだ。その意味で射幸心は麻薬の依存性と酷似している。依存性は、それにより人がますます薬物にはまり、身も心もボロボロにしてしまう力を持つ。射幸心もそれと同じ意味を持つ。そこでは人は射幸心により賭け事にますます入れ込む、ということでは済まない。負ければ負けるほど入れ込む、という構図を持つ。麻薬との例えで言えば、吸っている麻薬がまずければまずいほどますます吸いたくなるという事情になる(実際の麻薬の場合は、少なくともまずい、という感覚はないであろうから、そこはパチンコと多少なりとも違う点である)。そこが異常なので、射幸心が場合によっては麻薬の依存性よりも恐ろしいと考えられる理由なのである。しかしそれにしても、負ければ負けるほど・・・ とはどのような意味か。それを以下に説明しよう。