2016年7月20日水曜日

精神療法 ④

ある心の動かし方とそれに内在する「治療的柔構造」

「ある心の動かし方」は感覚であり、これまでは言葉に直すことができませんでした。しかしそれは結局ある種の構造を提供しているという側面があることに気が付きました。ある心の動かし方にはある種の構造がビルトインされています。ですから時間の長さ、セッションの感覚は比較的自由に、それも患者さんの都合により変えることができます。そのニュアンスをお伝えするために一つの比喩を考えました。
いつか重構造のことをボクシングのリングのようなものだと表現しました。がっちり決まった、例えば何曜日の何時から50分、という構造を考えると、それは相撲の土俵のようなものです。そこでさまざまなことが起きても、それは土俵を割ることで勝負がつく。その俵が伸び縮みすることはありません。ところがボクシングのリングは伸び縮みをする。治療時間が終わっても30秒長く続くセッションは、それが引っ張られた状態です。そして時間が過ぎるにしたがってロープは強く反発してきて、結局セッションは終了になります。しかしリングはやはりしっかりとした構造と言えます。そしてその中で決まった3分間、15ラウンドの試合を行うというボクシングの試合は、かなり剛構造化されたものです。
 でも柔構造的な精神療法は、ボクシングの一種のスパーリングないしは「ミット受け」のようなものだと考えてください。ボクシングの選手はミットで受けてほしい、とコーチのもとにやってくる。コーチはミットを差し出してパンチを受けます。ひとしきり終わると、ではまた、と選手は帰っていきます。その選手はおそらくどのくらいの頻度でトレーナーとのスパーリングを必要としているかが異なるでしょう。一時間みっちり必要かもしれないし、5分でいつもの感覚を取り戻すかもしれない。しかしここにもだいたい構造はあるでしょう。それこそ月、水、金の5時ごろから30分ほど、とか。さもないと二人とも予定が合せられないからです。さてスパーリングが始まると、選手はコーチがいつもと同じようなミットの出し方をして、いつもと同じような強さで受けてくれることを期待する。場所はあまり定まっていないかもしれない。その時空いているリングを使うかもしれないし、ジムが混んでいるときはその片隅かも知れない。夏は室内が暑いから外の駐車場に出てひとしきりやるかもしれない。その時選手とコーチはお互いに何かを感じあっている。コーチは今選手がどんなコンディションかを、受けるパンチの一つ一つで感じ取ることができるでしょう。選手はコーチのグラブの絶妙な出し方に誘われて自在にパンチを繰り出せるようになるかもしれません。コーチはそのミット打ちの時間を全面的にコントロールする役割を負っていますが、幾分選手にもその主導権はあるでしょう。でもそこでもだいたいの構造はある。選手は、コーチ、ではいつもの感じでやってください、と暗黙のサインを送ってくるでしょう。でも選手が特に悩んでみっちりやってほしい時は、あらかじめ「明日の夕方、少し長めにお願いできますか?」と連絡をしてくるかもしれません。

ミット受けは、選手とコーチにはかなり明確な一方向性があるでしょう。コーチがいきなりグラブで選手に殴り掛かってくることはない。コーチは自分がボクシングの腕を磨くためにスパーリングを行うわけではないからです。だからいつも選手のパンチを受ける役回りです。いつも安定していて、選手の力を引き出すようなグラブの出し方をするはずです。その目的は常に、選手の力を向上させるため。あるいは試合前に緊張している選手の気持ちをほぐすため、という意味だってあるでしょう。なんだか考えれば考えるほど精神療法と似てきますね。
 そしてこのミット受け
を考えると分かる通り、その構造は、コーチのグラブの出し方、選手のパンチの受け方に内在化されているのです。そこにはいつも一定のスタンスと包容力を持ったコーチの姿があるのです。