2016年7月25日月曜日

推敲 2 ②

 ギャンブル依存に関する最近の脳科学的な知見は、非常に重要な情報を与えてくれる。その一つは、ギャンブラーたちの多くは、お金を儲けるために賭け事に夢中になるのではない、ということである。いや、これは正確な言い方ではないかもしれない。彼らはもちろん「一攫千金のためにパチンコ台に向かっているんです」というだろう。しかし彼らは負けた時も、あるいはニヤミスの時も、場合によっては大当たり以上に脳内の報酬系にドーパミンが出てているらしい。それがますます彼らを賭け事に夢中にさせるというのだ。それを Loss chasing (負けの追跡)と呼ぶ。だから正確な言い方をするならば、「ギャンブル依存の人は微妙に負けるとますます興奮する」のだ。結局はお金が儲かるかが不確かであればあるほど、賭け事に夢中になるというわけである。
ここで私は注意深く、「負けるとますます興奮する」という言い方をした。要するにアツくなっているという意味だ。記述に正確を期すためである。実は「負けることが快感となる」、と書こうとしたが、それでは正確ではないと思いとどまったのだ。なぜならパチンコ台であともう少しのところで大負けした人に「気持ちイイですか?」と尋ねても、「馬鹿野郎!」と怒鳴り返されるだけだろうからだ。そう、その時は快感とは言い切れない体験をしている。しかしハマっている。興奮している。そしてますます金をつぎ込もうとする。
私が別の章で説明する、like want との違いを参照してほしい。 好き like ではなくとも欲して want求めてしまう のが、報酬系の妙なのである。パチンコの台のことを思い出そう。釘を細工された台では、パチンカーは何度も「一般口」に裏切られてつらい思いをするはずだ。でもますます「中央口」に向かって玉をはじく。一般口に入りそうでなかなか入らない体験が、より彼をアツくする。「いつ出るかはわからないが出ると大きい」が一番人を興奮させるのだ。あとはどの程度の「出そうで出ない」ことが一番この不確かさを増すかを研究して熟知し、それに従って釘を調節するのが、プロの腕の見せどころなのだ。
 
ところである学者は、「微妙に負けるとますます興奮する」という傾向には、系統発生的な意味があるという。哺乳類でも鳥類でも、餌が予想に反して出てくるような仕掛けにより夢中になるという。総じて餌の出る量が、予想できる仕掛けより低いとしても、動物はそちらを選ぶという。そしてもともとこの賭け事好きの個体が、生き残ってきたのだ、という仮説が成立するというわけだ。(150321 gambling disorder)(Front. Behav. Neurosci., 02 December 2013 | http://dx.doi.org/10.3389/fnbeh.2013.00182 What motivates gambling behavior? Insight into dopamine's role

射幸心とマゾヒズム

以上の射幸心に関する話が自虐性(マゾキズム)の問題に結びつくことについては特別説明はいらないだろう。もちろん射幸心に駆られて賭け事にはまり、身を持ち崩す人が、「自分を傷つけている」という感覚はないかも知れない。しかしある意味ではこれほど明らかな自虐性もないのである。
興味深いことに、ギャンブル依存の人と、正常な人で、大当たりをした人の報酬系の興奮に差はないという。問題は負けた場合、あるいはニアミスの場合だ。負けることで余計熱くなり、さらに賭け事を続けようとするのだから、自ら自己破産のプロセスに身を投げ出しているようなものである。
しかしよく考えてみよう。射幸心的なメンタリティーは決して異常ではなく、私たちは日常的に出会っているのではないか? 「101回目のプロポーズ」というドラマがあったが、主人公は実は断られることにどこか快感を覚えていたのではないか?(少なくともアツくはなっていただろう。)これはまた恋愛妄想に近い心理をも説明しないか? つまり断られ、拒絶されればされるほど燃え上がる人々は決して少なくないのである。
この問題は人間の行動も、それを理解しようとする心理学をも一気に複雑かつ不可解にする可能性がある。私たちは通常は人間を功利主義的な存在と考える。人は常により大きな快を求める傾向にあると考えるのだ。そして大抵の人はそれにしたがって生きていると思っている。ところがふとしたことから喪失、拒絶、失敗の体験に興奮が伴ってしまう。ここでも「快感」とは敢えて言わない。でもそれを繰り返したくなってしまうのである。
実はこの問題は私たち日本人が特に持ちやすい、禁欲主義とも関係している可能性がある。カウンセリングを学ぼうとしている人が、「精神分析の道は厳しい。悪いことは言わないからあきらめた方がいいよ。」といわれて、がぜん精神分析の道を歩んだ人の話を聞いたことがあるあるいは私が知っている、不妊治療を受けた人の話。医師に「この方法は高価だし、妊娠する確率は低いですよ。それでもいいんですか?」と問われて俄然「この方法しかない」と決意を固める人が少なくないという。

この射幸心とマゾキズムの問題は虐待とも結びついている。パートナーとの関係で、DVの被害に遭うことがわかっていながら、その関係を続けたくなるという心理などを考えればお分かりだろう。不確かな成功の可能性、そのために多くの喪失を伴いかねないこと、これらは少なくとも私たちのごく一部を駆り立てる。あるいは「私たちのごく一部」どころではないかもしれない。さもなければ、一等に当たる確率が限りなくゼロに近い宝くじを、どうしてこんなにたくさんの人が買うだろうか?