2016年4月17日日曜日

フロー体験 ②


フロー体験の特徴は、ある種の解離体験が報酬系の興奮を伴い、それが宗教的な洞察に結びついたり、創造的な活動となると同時に、そこに至福や興奮といった情動が伴うことであろう。幽体離脱や没頭体験が苦痛や痛みを伴うという話を私たちは聞かない。通常はそれらの苦痛の状態でそれらの解離状態が生じ、当人は身体感覚や不快な情動から開放される形をとる。すなわち報酬系とかいり状態とは連動して生じる傾向にあると考えるべきであろう。両者をつかさどる神経ネットワークは連結しているわけだ。
うーん、こんな説明でも分かってもらえないかな。私としては「ピーク体験」という方がピンと来る。人の脳と心が最も効率的に活動し、もっとも幸福を感じ、最も創造的で、最も高次の活動。そのようなものが存在して、私たちはそれを達成できるようになることを目指したいという発想である。それは分かるのだが、それほど単純なものだろうか? チクセントミハイ先生(相変わらず長いな)のフロー体験の説明も、スキル(技巧)とチャレンジという二軸のうち、両方が高いエリアとして分類されている。つまり人間が与えられた最大級の課題に対して、最大級のスキルでそれを遂行しているというニュアンスだ。しかもそれを行っている時の注意はピンポイントで課題に向かい、いわば課題そのものと一体化し、しかも意識はそれを外から見ているという状態。そう説明されている。



例を考えよう。バイオリニストが演奏をする。たとえばチゴイネルワイゼンのすごーく速い部分を弾いている時は、このスキルが最大、チャレンジも最大ということになる。ゆっくりとした部分はチャレンジが小さく、スキルは大きい、つまり、えーっとリラクセーション、relaxation 弛緩した状態ということになる。バイオリニストがあまりスキルがないと、boredom 退屈、ということか。なんか少し変だな。この図って、あまり正確じゃないのではないか?フロー体験は、例えばバイオリニストが、カデンツァの部分をものすごい勢いで引いている時に体験され、たとえばG線上のアリアのように、プロなら間違えようのない曲を弾いている時は、体験されない?そんなもんだろうか?ゆったりしていても、素晴らしい曲はいくらでもある。それを弾いている時にピーク体験があってもいいのではないか。