2016年3月31日木曜日

報酬系 ⑰


ところで突然清原氏の話。まあいいや、K氏にしておこう。極悪人のように扱われるが、やはり病気としてとらえる方がわかりやすい。もちろん覚せい剤を常習する人は、闇の世界とつながっている確率はそれだけ高くなるし、違法な行動に手を染めることも少なくないだろう。でも彼らは、他の犯罪者とは異質の人たちである。
覚せい剤をやった人の脳は、もはや普通の人の脳とは違っている。覚せい剤によるイニシャル・ハイはすさまじく、再びそれを得たいという願望は計り知れない。そうなるとどうなるか。頭はそのことしか考えられなくなるのだ。ちょうど腰痛や頭痛に苦しむ人は、その痛みに頭を奪われ、他のことを考えられなくなるだろう。それと同じことが起きる。もちろんアディクションの病魔に襲われた人なら同様だ。パチンコ中毒の人は、足を洗って何年たってもパチンコのこと以外は考えられないようになってしまうという。
彼は頑張って更生する、というメッセージを公表したようだが、その嗜癖の程度によっても違うものの、彼は覚せい剤をやらなく(やれなく)なったとしても、そのことばかり考えている腑抜け(差別用語ではないだろうな?)の状態になりかねない。それでは更生どころではないだろう。
しかし薬物中毒にも、パチンコ中毒にも、アルコール中毒の人にも様々なレベルの人がいる。問題の薬物や行動を絶って3年たった時に、中毒になっていたものが頭の100パーセントを占めているか、50パーセントなのか、はたまた10パーセントなのかは、人によって異なる。ちょうど100年前にコカイン中毒になったドクターハルステッドとドクターフロイトのうち、前者が廃人になり、後者が創造的な活動を続けられたように( Howard Markel (2011) an Anatomy of Addiction - Sigmund Freud, William Halsted, and the Miracle Drug COCAINE. Vintage Books を読んでその影響を受けて書いている。)
私は絶って3年たっても頭の60~70%を薬やパチンコのことが占めている人は廃人に近いと思う。それらの人は、チャンスさえあれば、ドラッグディーラーと連絡を取ろうとし、パチンコ屋に飛び込むだろう。そうしないことが堪えられないからだ。ちょうど始終頭痛に悩まされている人が痛み止めを飲まずにはいられないように。それに耐えるのは人間として不可能なことなのである。でも幸い頭の10%しか占めない程度の嗜癖の人の場合は、治療が可能であろうと思う。彼らはほかのことに夢中になったり、気を紛らわすことで嗜癖薬物に手を出さないで済むだろう。あとはいかに意志を強く持つかであり、そのためのAA,NA,GA(ギャンブラーズアノニマス) も役に立つのだ。
薬物中毒の人は一般の犯罪者とは異なった施設で、治療に専念するという欧米の考え方が日本にも導入されるべきであろう。精神病の人は犯罪を犯しても心神喪失状態と判断されて免罪の対象になる。彼らが物事の善悪を見極めることが出来なくなっているから、というのがその理由だ。しかし中毒患者は善悪を見極めることが出来ても行動を律することが意志の力ではできない状態にまでなっていることが多い。
しかし彼らが通常の犯罪者とは異なるからと言って、すぐにでも娑婆に出ることが薦められるというわけではない。彼らはある意味では、語弊はあるが、一生娑婆に出ないほうがいいのである。

中毒患者は犯罪者ではない、しかし娑婆に出ないほうがいい???


人の嗜癖は、誘惑物が身近にあるかないかで決定的に違う。私はピーナッツがあると延々と食べてしまう可能性があるが、家のどこを探してもない時に、さすがに店にまで買いに出かける熱意もない。そういう時は難なく過ごせるのだ。一番難しいのは、目の前にピーナッツ(実は正確に言えばピーナッツ・ブリトル。これがタマラない。アメリカにいるとき、すっかりはまって、一時3食がこれになっていたことがある。)
危険なピーナッツブリトル。これに手を出すのはやばい!

 があり、それに手を出さないことだ。ある中の人でも、町のどこを探してもアルコールが手に入らない場所では、苦痛は半減するのである。コカインしかり、ヘロインしかり。だからドラッグフリー、パチンコ屋のない町でも作り、そこで彼らが普通の社会生活をしてもらう、というのが本当はいいのだ。そして入院病棟とは、そんな環境である。(しかしアメリカなどでは、監獄の中でもドラッグのやり取りが行われていたりするから恐ろしい。)