2016年3月26日土曜日

報酬系 ⑫


ところが前世紀の終わりにある事件が生じた。それを期に人類はそれまで経験したことのないことに見舞われる。ドラッグの出現である。人類はそれまでは人生で起きること以外の高揚感を味わえなかった。敢えて言えば酒やタバコの類か?しかしその高揚感は高が知れていたのである。いわゆる「嗜癖addiction」という言葉が現在の意味で用いられるようになったのは、19世紀の終わり、モルフィンやオピウム(阿片)が、そして少し遅れてコカインが出回るようになったからだ。それまで人類は苦痛の極致、「激痛」を体験することはあったが、「激快」(そんな言葉はないが)の体験はなかった。ところがドラッグがそれを提供するようになったのである。
何度でもいうが、人間の(そしておそらく動物一般の)脳に、著しい苦痛はあっても、著しい快はなかった。そしてそれが不幸の始まりだったといっていいだろう。さらに不幸なことに、人は最初はそのことを知らなかったのだ。
「ナチュラルハイ」の秘密
ところでナチュラルハイは自然な現象であり、それ自身は害はないというような言い方をした。しかしこれは少し説明が必要である。ナチュラルハイとて、結局は報酬系の興奮である。報酬系は時には強くボタンが押されてしまうこともあるだろう。するとドラッグによるハイに近いことが起きてしまうこともある。ここでそれをひとつ挙げておこう。

それは宗教体験や臨死体験におけるエクスタシー体験である。宗教における祈りにより、儀式により、そして瞑想により人は一種の高揚感やエクスタシーを体験する。それは信仰の高まりであり、神との接触であり、ある種の至高の体験とされた。熱心に信心し、神に帰依することで得られる快感。宗教活動を支えるものの一部はその体験の追及といえるだろう。