2015年12月19日土曜日

フロイト私論(9)


フロイトは恥の感情を防衛していたのか?

 フロイトが本来の意味で心の痛みを伴う恥 Schande について正面から扱わなかったのはなぜか? フロイトは自分自身の感じる恥の感情を防衛しようとしていたのだろうか? 私はこの問いに、フロイトと自己愛との関連という方向からではあるがアプローチを試みた(本稿の前半部分)。ここでは恥の文脈からフロイトの人生を捉える次の二つの説を紹介し、それをヒントに私なりの仮説を示したい。
 ひとつはバロンその他による「フロイト:自然の秘密と、秘密の性質」( Barron, J. 1991)という論文である。この論文は、フロイトがその著作や臨床を通じてみせた秘密へのこだわりについて論じたものだが、フロイトが自分自身に対して持っていた秘密主義や恥の感情を推察する上で非常に参考になる。まずここにその要旨を紹介しよう。
 フロイトは生涯にわたって「秘密」に特別の関心を寄せていた。彼が心の探究の手段として精神分析を創始したのは、「自然の持つ秘密」を明らかにするという試みであり、彼が発展させた精神分析の理論や技法もその秘密の解明に向けられたものという意味を持っていた。しかしフロイトが同時に持っていたのは彼自身の秘密主義であり、自分自身の内面を隠し通そうとする傾向であった。「夢判断」において自分自身について極めて多くを明らかにしているようでいて、彼自身の性的な夢がほとんど語られていないという事実、フリースとの文通が公表されることを固辞したという事情、当時の弟子との間で秘密結社的な組織を持っていたことは、それらを示しているとされる。
 さらにこの論文では、フロイトと母親との関係に触れている。そのイメージはアンビバレンスと前性器的な外傷によって満たされており、「自然の秘密」の解明に向かうことは、それを明らかにしたいという欲求の昇華という意味を持っていたのではないかと推論される。またフロイトが最終的に探究し切れなかった「秘密」とは母親そのものであり、おそらく自分の中に持っていた母親へのネガティブな感情であったとする。フロイトはその著作で、子供が保護を求める際に向かう対象として父親の存在を強調しているが、母親の持つ役割には、不思議にも言及していない。そこで以下の仮説が生まれる。それはフロイトが自分の母親が持つ誘惑的で破壊的な側面に対する感情を認めようとしなかったのではないかということだ。フロイトの秘密主義は母親に対する感情の防衛としての意味を持っていたといえよう。 
以上がこのバロンの論文の要旨であるが、そこで問題とされているフロイトと母親との関係については、それがフロイト自身により十分に扱われなかったという点が従来さまざまに論じられてきた。そもそも母親アマリエの影響こそが、フロイトの心的世界を支えていたのではないか、という仮説はこの論文に始まったものではない。フロイトの女性性に対する理論の不十分さも、彼が女性(母親)に対する感情を抑圧していたという事情、特に女性への敵意や、自分自身の女性性に対する恐怖心を抑えていた事の表われではなかったかという見解もある。(これら説についてはフリーマンとストリーンによる「フロイトと女性」(Freeman & Strean1981)等を参照されたい。)
 ところでフロイトが母親に対して持っていた感情の謎を解く一つの決め手は、彼が母の死に際して示した反応である。フリーマンらの著作をもとにそれを紹介しよう。
 フロイトが母親の死に対して示した反応をひとことで言えば、それは安堵である。フロイトの母アマリエが95才で他界した時、フロイトはその3日後に弟子のアーネスト・ジョーンズにこのように書き送ったとされる。「・・・私は(自分の心に)表面的には二つのことを見いだせる。一つは私自身の自由が増したという気持ちだ。なぜなら、母親が私の死を聞きつける、というのは恐ろしい考えだったからだ。・・・」同様のことをフロイトはサンドール・フェレンチに対しても書いている。「私は彼女が生きているうちは私は死ぬことが許されなかった。今はそうすることが出来る。」
 その当時顎のガンでいくつもの手術を体験していたフロイトは、母親が死ぬことで、やっと自分も安心して死ぬことが出来る、と思ったようである。これにはもちろんいくつかの解釈が可能であろう。そこには母親が死んだ以上、自分も生きる希望もない(だから死んだ方がましである)という気持ちもあったかもしれない(Freeman)。ただし私はそれ以上のものをここで読み取りたい。それがフロイトが無視した恥の文脈にも関わってくる。
 以下は私の仮説である。フロイトが生涯苦しんだのは、母親からかけられた強烈な期待に見合うことができない、劣った恥ずべき存在になるという恐れではなかったか? フロイトのことを宝と思い、生涯にわたって期待をかけつづけた母親の存在は、また常に人より優れ、常に精進し、また道徳的に間違ったことを決してしてはいけないという超自我的な声でもあったのだろう。フロイトが母親に持ったネガティブな感情は、自分自身を劣った弱い存在、非道徳的な空想を持つようなふしだらな存在であると考えることによる恥の感情への恐れを理解してもらえなかったことと関連していたと推察される。フロイトが母親の死に際して感じた安堵の少なくとも一部は、このような母親の重圧から解放されたことによるのではないだろうか?
 フロイトにおける恥についての議論としてもう一つ紹介したいのが、これまでに何度となく引用したブルーチェック(Broucek1991)による説である。アメリカにおける恥の論者の中でもブルーチェックは特に舌鋒鋭く古典的な分析技法への批判を展開するが、その議論は分析技法の核心へと迫るものが多く、傾聴に値する。
 ブルーチェックはフロイトにより創始された分析理論や治療技法が、さまざまな意味で分析家の側の恥の感情を回避する役目を果たしている点を指摘している。フロイトによる寝椅子の使用は、もともと彼が患者から性的な興味の的となることを回避するために創り出したものであるが、それは自分自身を患者に向かってさらけだすことによる恥の感情を防ぐための道具でもあったという。さらにフロイトの転移の概念も、「分析家はその場面から人間としてあることを恐れて分析者であることを可能にする」(同書 P.87)働きをしていたとする。ただし治療者が恥を回避するというこの治療構造は逆に、患者の側に余計恥の感情を生むことになる。患者は,自分を語らずに自分の姿を寝椅子の後ろに隠したままの分析家により、精神的に裸にされるという体験をするのである。
 このようにブルーチェックの恥の理論は、分析理論や治療技法の全体にまで及ぶ批判となっているが、その論旨の全体に流れるのが、フロイトに始まった精神分析がいかに恥の感情を回避してきたかという問いかけである。フロイト自身の持つ秘密主義や対人場面での敏感さないしは恥の感情の持ちやすさが、彼が打ち立てた理論体系や治療技法を必要としていたともいえよう。人間の行動はことごとく、防衛的な意味を持っているという精神分析の教えが正しいならば、古典分析理論の唱える中立性や匿名性の原則ないしは寝椅子を中心とした治療技法もまた、分析家の側の防衛の産物といえることになる。