2015年4月25日土曜日

精神医学からみた暴力  (1)


暴力や攻撃性は本能なのか?

まったく唐突なのだがこのテーマで考えなくてはならなくなった。でも私はこのテーマのエキスパートではない。そこで思いつくままに書いていき、どこに落ち着くかを見なくてはならない。
ところで少し大きな話からだが、暴力は一向に地球から消えてなくならない。もちろん確実に減っては来ている。しかし戦争は決してこの世からなくならないのではないかと悲観的になるくらいに、あちこちで不幸な殺戮が行われている。テロ行為も頻繁だ。米国での発砲事件も、日本での殺傷事件も相変わらずニュースをにぎわしている。先日の旅客機の墜落も、究極の暴力とは言えないだろうか?一人の人間が操縦桿を意図的に倒し続けていることで、150人の命が一瞬に奪われてしまう。

人が人を殺める、暴行するというニュースが絶え間ない一方では、その頻度や程度はおそらく確実に減少している。最近比較的よく読んだ本に「ヒトはなぜヒトをたべたか」(マーヴィン・ハリス、早川ノンフィクション文庫)があるが、印象深いのは古代人の男性はその多くが殺害により世を去っていたということである。多くの遺骨に他者からの暴力の痕跡が見つかる。国家の統治機構が備わり、体裁だけでも民主主義的な政治体制が整う前には、人が人を害するという行為はその多くが見過ごされ、黙認されてきた。(非・民主主義体制では国家による人民の殺害はより一層深刻だろう。北の寒い国やシリアなどの例を見ればわかる。)加害行為の減少は、文明が進み人間の精神が洗練されたというよりは、むしろ個々の犯罪が公正に取り締まられ、DNA鑑定や防犯カメラなどの整備により犯人が特定される可能性が高まったのが一番の原因ではないか?