2015年3月24日火曜日

第14章の書き直し(誰も読まない)

3.解離の病理を説明する非力動的、離散的な精神分析理論

現代的な脳科学の理解に基づき心の理論を考えた場合に浮かび上がってくるのが、解離の機制を中心に据えた精神分析理論である。それを筆者は「非力動的、離散的な分析理論」と表現したい。この「非力動的」という表現は、抑圧の機制に基づいた精神分析理論(力動的な分析理論)との区別を明確にするためである。また離散的(不連続的)、とは心のあり方が本来はまとまりを欠き、ばらばらに生じる傾向にあるという性質を強調している。これらの性質を備えた心の理解から、解離の病理がよりよく説明されると考える。
 フロイトの心の捉え方は、意識内容と無意識内容を、抑圧のバリアーにまたがった一つの力動的な連続体と見なすというものであった。そこでは無意識の内容は意識化することが苦痛であるために抑圧されたものであり、それは症状や機知、言い間違え、夢の顕在内容などを通して、意識野に表れると考える。そしてその前提に立ち自由連想法や夢の報告に解釈を与えることで、無意識内容を明らかにするという治療的な手続きが考えられたのである。
しかし私たちがこれまでに見た脳の機能は、フロイトの見解とは相当異なる無意識の在り方を示している。本章ですでに見たとおり、私たちの脳の主要な働きは情報処理であり、その大部分は無意識的に行われるのであった。また心の在り方は扁桃核や報酬系の働きに大きく規定されるものであるという事情も見た。さらには私たちの意識的な意思決定が、実は無意識に基づく言動の後追いであるという理論も紹介した。
 その結果として人間の言動はかなり予想困難で一見恣意的なものとなる。それは抑圧という機制により無意識レベルでその根拠を与えられているとは限らず、無意識において忽然と生じ、意識野とは本来は隔絶(解離)された独自の振る舞いをする可能性がある。
以上の説明をもう少しわかりやすくするために、あるファンタジーABを想定してみよう。自由連想においてAが自然と意識野に生まれ、それが語られたとする。またそれに続いてBが自然と想起されたが、こちらはその瞬間に不快感が生じたために、患者はそれを心の中で打ち消し、また語らない選択をしたとしよう。よくある自由連想の一コマを切り取ったものにすぎない。
 古典的な精神分析モデルにおいてはこのプロセスをどう考えるだろうか? ファンタジーAが語られ、Bが語られないことについての無意識的な意味を理解しようとするであろう。ABが表現しているのは、どのような無意識内容なのかが問題となる。またABとの無意識レベルでの関連性についても大きな関心を向けることになる。
 しかし現代的な脳科学に従った心のあり方の理解は、それらの試みに従来ほどは意味を見出せないことになる。まずAが何かからの連想により生じたのでもない限り、それが生まれた理由は特定出来ないことが多い。そこにあまりに多くの無意識的な要素が介在するためである。そしてそれを語ることがなぜ報酬刺激となるかについても、多くの場合不明であろう。報酬系が何により刺激されるかについてもあまりに多くの個人差があり、それ自体が偶発的な要素により左右されるからだ。
 またファンタジーBに関しても同様である。なぜそれが打ち消されたり、語られなかったりしたかについてもさまざまな事情が考えられる。Bの想起が扁桃核への刺激となった可能性があるが、それは何らかのトラウマを思い起こさせるような刺激に由来するのかもしれないし、また幼いころから嫌悪すべき何らかの刺激との関連で想起を回避され続けてきたものかもしれない。これについてもその無意識的な動機を知ることは多くの場合に非常に困難となる。

さらにはファンタジーABの関係はどうだろうか?両者には関連性が存在するかもしれないし、しないかもしれない。脳ではさまざまな部位で同時並行的な情報処理が行われる。そしてABとの間に連続性や因果関係が常に存在するとは限らないのである。
 心は常に首尾一貫した法則にしたがっているわけでは決してない。無意識の働きは扁桃核や報酬系の影響を受け、その結果として意識内容と無意識内容は不連続的(「離散的」)で、多くの場合非力動的な関係しかない、すなわち両者に力関係を想定できない場合の方がより現実に近いだろう。無意識に生じる様々な動きの中でたまたま突出したものが、ABのような形で意識に上る。そしてそれがさらにファンタジーや行動を生み出すことで、治療場面は様々な行動化やエナクトメントに満ち溢れることになる。
 心が非力動的、離散的な在り方をする、という筆者の主張は以上のような根拠に基づくが、この意味での非力動的な心の在り方は、フロイトと同時代人のピエール・ジャネの頭にあった。ジャネの理論によれば、心は意識 conscienceと下意識 subconscience (両方ともフランス語)に分かれる。意識は統合と創造に向けられた活動であり、下意識は過去を保存し再現する活動である。通常はこの二つは独立しつつ協調しているが、現在の体験を形作るのはあくまで前者である。そして解離状態については、統合と創造のほうが減弱している状態として説明する。この状態がヒステリーに相当し、そこでは「心理自動症 automatisme psychologique」が発揮されるのである。