2015年2月19日木曜日

恩師論 (推敲)(4)


「出会い」のメカニズム

「出会い」のメカニズム、などと書くと、「出会い」は一つの欠くべからざる性質を持っていて…・ということになりそうだが、そうではなく、いくつかの要素を持った複合的なものなのだ、という議論になる。これは仕方がないだろう。治療における「出会いのモーメント」と、そこの部分は同じになってしまうのだ。Gファクターの議論とも似ている。私はそこに含まれる二つの要素に注目したい。
1. 目の前であることを実演してもらうことのインパクト
2. その人に直接支持、勇気づけ、あるいは叱責を受けることのインパクト
人間は関係性の中で途轍もない刺激を受ける。もちろん著書を読んで、影響を受けるということもあるが、その人が身近にいて言葉を発することで、その影響力は倍増する。どうしてだろう?ミラーニューロンがそれだけ活動するからか?ただし・・・・その人と長く一緒にいてはいけない。その人が「フツー」になってしまうからだ。
 そこで1.の例だが、私自身の体験から言えばやはりモデリングか、という印象がある。目の前でお手本を示してもらったという体験。Dr.Hのことを思い出す。私が30歳代の前半、オクラホマシティで初めて精神科のレジデントトレーニングを行った時のバイザーで彼は小柄であごひげを豊かに蓄えたエジプト人(毛が頭の上から下に移動したタイプ)。いつも笑みを絶やさない、温厚な人柄。「人に温かい」とはこういうことだ、ということを目の前で実践してくれた。(それまで、そういうことは考えたことがなかった。)
 私の配属されたのは、VAHospital (在郷軍人病院) で、そこの精神科病棟には数十人のベトナム帰りの心を病んだPTSDやうつの患者さんが群れていた。VAとは戦争帰りの患者さんが、無料で入れる病院として、各州に数個ずつ作られている。患者さんたちは時にはろれつが回らず、時には意味不明の訴えを持ちかけてくる。Dr.Hはどの患者にも誠実に対応するので人気があり、彼が病棟に姿を現すと患者がひっきりなしに話しかけてくる。彼はどんなに忙しくても疲れていてもしっかり対応する。私はそれを横で見ているのである。
 ある月曜の朝、病棟である患者さんが何か、非常に取るに足らない「報告」をDr.Hにしてきた。どうにも返事のしようのない、週末の生活の様子についての報告。Dr.Hは“well, Mr.so and so, thank you for telling me. 「私にそれを話してくれてありがとう」となる。英語にはこうやって日本語にすると意味が消えてしまうようなどうと言うことのない表現がある。それにしても「話しかけてくれてありがとう」は「あなたが、そこにいてくれてありがとう」みたいな感じ。そんな言葉ってあるんだ、と新鮮だった。うーん、これには驚いたね。といっても書いていても説得力がないが。
 どうして恩師のエピソードとしてまずこれが浮かぶのかよくわからない。この言葉は私に向かっていたものでもないし、Dr.Hは特に私を評価してくれたという訳ではない。彼はいつもニコニコ私の話を聞いてくれただけである。しかしこの“thank you for telling me”が効いてしまい、私はDrHのしぐさ、言動を横で見ていてことごとく取り入れるようになったのである。やはりこれは彼の人徳、と言うのだろうか。誰にでも公平、しぐさや主張は質素だが明確。人には常に同じ姿勢。患者も同僚も同じ。
 彼のエピソードでもう一つ思いだす。アメリカ人は職場で午後5時が近づくと、急にそわそわしだす。皆がこれから始まるアフターファイブに向けて気もそぞろになる。定刻の5時になる前にはタイムカードに向かっている人もいる。日本人の私は何となく定刻に帰る習慣が合わなかったが、Dr.Hは私を含めたレジデントにきっぱりと言った。「君たちは定刻が来たらさっと帰りたまえ。後は当直の仕事だ。」と言って自分でも帰り支度を始める。時間が来たから撤退、と言う感じ。私はDr.Hから、「勤務時間が来た時の帰り方」を身を持って教わったのである。
 やはりこう書いてみると、出会い、と言ってもその人の人柄が決定的だということがわかる。あの人がこういったから、それが心に残る、と言うところがある。しかしその人との関係がずっと続いたという訳ではない。Dr.Hとは私がその後オクラホマシティを離れてカンザスのトピーカに移ったために音信不通になった。ただ一つ後日談がある。Dr.Hと少し個人的な付き合いをさせてもらおうと思い連絡をすると、彼は彼が行っているキリスト教の活動を紹介してくれた。彼の慈愛に満ちた態度や表情と宗教がそこで重なったのだ。でもどう考えても、私はその時以来、Dr.Hのあの穏やかな話し方が「入って」しまっている気がする。自分の声を録音して後で聞いてみると、自分自身が驚いたりすることがあるのだ。
K先輩のこと
彼は恩師、ではないなあ。しかし確実に影響を受けた人である。K先輩は、私が中学に入った時のブラスバンド部の一年先輩である。私は音楽が好きで、見学に行ったブラスバンドのホルンの形に惹かれて担当することになった。後でそれは「なんちゃってホルン」であり、メロホンという楽器だということを知ったわけだ。まあ素人にわかるわけないよね。
 メロホンの立場はまるで下積みである。ちゃんとしたメロディーがないのだ。クラリネットやトランペットなどのメロディーを奏でる楽器たちの下でリズムを刻むだけ。ちゃんとした出番がない。楽器は重い。やる気が起きないなあ、と思っているときに、音楽室のホールでやたらときれいなメロディーを奏でてムードミュージックなどを吹いていたのが子安先輩だった。音色が違う。先輩はもちろんバンドの楽曲でもすばらしい働きをしたが、普段はそんな練習はまったくせず、もっぱら「恋は水色」「恋ごころ」などをビブラートをかけて吹きまくっていた。そんな中学2年生なんているだろうか?子安先輩には様々な伝説が付きまとっていた。楽譜は所見で読めてピアノも弾ける。異常な怪力の持ち主。陸上選手でもある。女性に異常にモテる。時々子安さんはメロホンを手にとり「恋は水色」を演奏したりしたが、驚いた。均一で透き通ったような音。音色がまったく違うのである。彼のマウスピース内での唇の震え方がまったく人とは異なることを知った。私は中学1年の秋にはメロホンを捨ててトランペットに転向し、ひたすら子安先輩の横でトランペットを吹くようになった。そのうち彼がヤマハの銀メッキのトランペットに買い換えるというので、彼がそれまで使っていたドイツ製のヒュッテというメーカーのトランペットを安く譲り受けた。(今でも押入れの奥にある。)そのうち子安先輩の弟分ということになった・・・。なんか恩師の話とはズレてきている。とにかく目の前で同じ楽器を吹き、まったく違った音色を放つ中学二年生を目の前にして、その人物に同一化して憧れてしまうという体験。彼は私にとって恩師というにはあまりに年が若かったが、人に影響を受ける、という意味ではまさに画期的な体験だったのである。