2015年1月30日金曜日

恩師論 (8)


メロホンとホルンの写真を見て、おんなじじゃないか、と思う人はおろかである。メロホンは右手でピストンを押し、ホルンは左手でキーを押す。持つ方向がま逆なのである。管のグニャグニャの形が違う。ホルンの管の方が長く、幅広い音域が出る。それにホルンは高価である。メロホンは安い。ホルンはかっこいい。大人の楽器だ。メロホンは子供だましの楽器である・・・。しかし私は最初の数ヶ月はメロホンをホルンと勘違いして吹き続けたのだ。だって、そんな違いなんてわからないではないか。
メロホンの立場はまるで下積みである。ちゃんとしたメロディーがないのだ。クラリネットやトランペットなどのメロディーを奏でる楽器たちの下でリズムを刻むだけ。ちゃんとした出番がない。楽器は重い。やる気が起きないなあ、と思っているときに、音楽室のホールでやたらときれいなメロディーを奏でてムードミュージックなどを吹いていたのが子安先輩だった。音色が違う。先輩はもちろんバンドの楽曲でもすばらしい働きをしたが、普段はそんな練習はまったくせず、もっぱら「恋は水色」「恋ごころ」などをビブラートをかけて吹きまくっていた。そんな中学2年生なんているだろうか?子安先輩には様々な伝説が付きまとっていた。楽譜は所見で読めてピアノも弾ける。異常な怪力の持ち主。陸上選手でもある。女性に異常にモテる。時々子安さんはメロホンを手にとり「恋は水色」を演奏したりしたが、驚いた。均一で透き通ったような音。音色がまったく違うのである。彼のマウスピース内での唇の震え方がまったく人とは異なることを知った。私は中学1年の秋にはメロホンを捨ててトランペットに転向し、ひたすら子安先輩の横でトランペットを吹くようになった。そのうち彼がヤマハの銀メッキのトランペットに買い換えるというので、彼がそれまで使っていたドイツ製のヒュッテというメーカーのトランペットを安く譲り受けた。(今でも押入れの奥にある。)そのうち子安先輩の弟分ということになった・・・。なんか恩師の話とはズレてきている。とにかく目の前で同じ楽器を吹き、まったく違った音色を放つ中学二年生を目の前にして、その人物に同一化して憧れてしまうという体験。彼は私にとって恩師というにはあまりに年が若かったが、人に影響を受ける、という意味ではまさに画期的な体験だったのである。

駄目だ、この原稿はボツだな。これも失敗だ。