2015年1月28日水曜日

恩師論 (6)


「出会い」のメカニズム


「出会い」のメカニズム、などと書くと、「出会い」は一つの欠くべからざる性質を持っていて…・と言うことになりそうだが、そうではなく、いくつかの要素を持った複合的なものなのだ、という議論になる。これは仕方がないだろう。治療における「出会いのモーメント」と、そこの部分は同じになってしまうのだ。Gファクターの議論とも似ている。
私自身の体験から言えばやはりモデリングか。目の前でお手本を示してもらったという体験。Dr.Hのことを思い出す。私が30歳代の前半、オクラホマシティで初めて精神科のレジデントトレーニングを行った時のバイザーで彼は小柄であごひげを豊かに蓄えたエジプト人(毛が頭の上から下に移動したタイプ)。いつも笑みを絶やさない、温厚な人柄。「人に温かい」とはこういうことだ、ということを目の前で実践してくれた。(それまで、そういうことは考えたことがなかった。) 私の配属されたのは、VAHospital (軍人病院) で、そこの精神科病棟には数十人のベトナム帰りの心を病んだPTSDやうつの患者さんが群れていた。時にはろれつが回らず、時には意味不明の訴えだ。Dr.Hはどの患者にも誠実に対応するので人気があり、彼が病棟に姿を現すと患者がひっきりなしに話しかけてくる。彼はどんなに忙しくても疲れていてもしっかり対応する。私はそれを横で見ているのである。月曜の朝、病棟である患者さんが何か、非常に取るに足らない「報告」をDr.Hにしてきた。どうにも返事のしようのない、週末の生活の様子についての報告。Dr.Hは“well, Mr.so and so, thank you for telling me. 「私にそれを話してくれてありがとう」となる。英語にはこうやって日本語にすると意味が消えてしまうようなどうと言うことのない表現がある。それにしても「話しかけてくれてありがとう」は「あなたが、そこにいてくれてありがとう」みたいな感じ。そんな言葉ってあるんだ、と新鮮だった。うーん、書いていても説得力がない。どうして恩師のエピソードとしてまずこれが浮かぶのかよくわからない。この言葉は私に向かっていたものでもないし、Dr.Hは特に私を評価してくれたという訳ではない。彼はいつもニコニコ私の話を聞いてくれただけである。しかしこの“thank you for telling me”が効いてしまい、私はDrHのしぐさ、言動を横で見ていてことごとく取り入れるようになったのである。やはりこれは彼の人徳、と言うのだろうか。誰にでも公平、しぐさや主張は質素だが明確。人には常に同じ姿勢。患者も同僚も同じ。
彼のエピソードでもう一つ思いだす。アメリカ人は職場で午後5時が近づくと、急にそわそわしだす。皆がこれから始まるアフターファイブに向けて気もそぞろになる。定刻の5時になる前にはタイムカードに向かっている人もいる。日本人の私は何となく定刻に帰る習慣が合わなかったが、Dr.Hは私を含めたレジデントにきっぱりと言った。「君たちは定刻が来たらさっと帰りたまえ。後は当直の仕事だ。」と言って自分でも帰り支度を始める。時間が来たから撤退、と言う感じ。私はDr.Hから、「勤務時間が来た時の帰り方」を身を持って教わったのである。
 やはりこう書いてみると、出会い、と言ってもその人の人柄が決定的だということがわかる。あの人がこういったから、それが心に残る、と言うところがある。しかしその人との関係がずっと続いたという訳ではない。Dr.Hとは私がその後オクラホマシティを離れてカンザスのトピーカに移ったために音信不通になった。ただ一つ後日談がある。Dr.Hと少し個人的な付き合いをさせてもらおうと思い連絡をすると、彼は彼が行っているキリスト教の活動を紹介してくれた。彼の慈愛に満ちた態度や表情と宗教がそこで重なったのだ。

とにかく…。二十数年たって初めてDr.Hのことを文章にしてみて、特に説得力がない感じがした。私にとっては大きな「出会い」でも、書いてみると大したことがないのだ。文章力の問題だろうか。でも何度も思い出すのはどうしてだろう?やはりこれが「出会い」なのだ。その人にしかわからない、他の人は「どうしてそれが?…」と思うような瞬間。