2015年1月12日月曜日

ユルイ (2)

それにしても成り行きで読み始めた「プリズム」(百田尚樹)結構面白いな。私はフィクションが苦手なのだが・・・・。

解離否認症候群?
私は非常に優秀で臨床能力の高い方々でもこの種の過ちに陥っていることを非常に興味深く思う。彼らのロジックは、以下の項目に表わされるように、ほぼ一定しているように思う。そのためにこれは一種の「症候群」と呼んでいいような気がする。と言ってももちろんこれは病気とか障害というたぐいのものではない。一種の誤謬であり、それは多分に文化的なものである。長い間解離性障害は子宮の病と見なされていた。過去十数世紀にわたって、優れた知性を備えた人々が多く輩出したにもかかわらず、その誤謬を決定的に論駁することはなかったのだ。ということはこれはそのような思考を担う文化が支配的であり、人はそれに抗することができなかったと考えるべきだろうか?
ともかくもその「症候群」を満たす項目である。
解離否認症候群は以下の6項目にわたる主張をほぼ全面的に受け入れるものである。
1.私は定型的な解離性同一性障害に出会ったことはほとんどない。
2.ただし自分を解離性障害という患者さんには何人かであったことがある。
3.自分がいくつかの人格を持つという主張はアピールであり、それを一つのアイデンティティと見なしている。
4.最善の対処の仕方は、人格部分が出現した場合に、それを相手にしないことである。
5.相手にしないことで、人格部分の出現は起きなくなる。
6.解離性障害はおおむね医原性と見なすことができる。

メニンガー記念病院で研修したころ、すなわち1980年代後半から1990年代にかけて、そこに多く存在した精神分析家たちはこのような思考から脱することに葛藤を持っていたことが伺われる。私が敬愛するDr.Gはこの種の誤謬はもう捨てていたが、同じく敬愛するDr.Bはまだまだ懐疑的であった。不思議なことに精神分析的な思考に親和性を持つほど、このような誤謬に固執する傾向にあるという印象を持つ。