2014年12月30日火曜日

最新の解離(20)

東京は12月の末にしてはとてもいい陽気である。

11)解離性障害をいかに治療するか?(総論)


解離性障害は、記憶、知覚、運動、情動などの心身の諸機能の一部が一時的に欠落したために、心身の統合された機能が失われた状態である。そしてその治療の最終的な目標は、患者が「統合された機能を獲得すること」9)と言えよう。しかしそれは必ずしも容易ではなく、そのための治療のプロトコールや用いるべき薬物が現在の精神医学において定まっているわけではない。治療の基本のひとつは、安全な環境を提供しつつ、その個人の持つ自然治癒力による回復を促すことである。解離症状の多くがトラウマや深刻なストレスをきっかけとして生じている以上、それらに関する記憶を扱うことが時には必要となるが、そこに治療者の個人的な好奇心や治療的な野心が働いたり、治療自体が結果的に再外傷体験となるような事態はできる限り回避しなくてはならない。また筆者の体験からは、治療者が解離症状に無理解で、それを当人の演技とみなしたり疾病利得を疑ったり、場合によっては詐病と決めつけたりすることによる二次的なトラウマを多くの患者が体験しているのも事実である。
紙数の関係もあり、本稿では臨床上特に問題となることの多いDIDDFに限定してその治療論について述べたい。

1DIDの治療

 治療目標

以下に特に DID 治療について論じるが、その最終目標も上述の解離性障害一般における統合された機能の達成であることに変わりない。しかしDID には異なる人格部分の存在という特殊事情がある。心身の機能を担う身体がひとつである以上、どの人格部分の言動についても、たとえそれに関与した自覚や記憶がなくても、患者はその結果について責任を負わなくてはならない。そのことを個々の人格部分が受け入れるのを助けることは、治療者の重要な役割である。
他方で治療者は、個々の人格部分の存在は、患者が過去に直面した外傷性のストレスに対処したりそれを克服したりするうえでの適応的な試みを表しているということを理解しなくてはならない。それぞれの人格部分には特有の存在意義と記憶と、自己表現の意思がある。そのため治療者は、特定の人格部分をえり好みしたり、無視したり、「消える」ことを促したりすべきではない。
なお欧米のDID の治療に関するガイドラインには、患者に別の人格部分を作り出すことを示唆したり、名前のない人格部分に名前を付けたり、現在の人格部分が今以上に精緻化され、自律的な機能を担うよう促すことは慎重であるべきことがしばしば強調されるが、それには根拠がある。人格部分の精緻化や新たな出現、ないしはそれらの消退は、その患者個人の体験するライフイベントに影響を受けつつ独自に展開する可能性がある。そこに治療者が人工的な手を加える際には十分な治療的な根拠が必要であろう。個々の人格部分のプロフィールを明らかにする、いわゆるマッピングについても、以前ほど治療手段としての意味が与えられていないのも事実である。かつてPutnam19)は、把握しうるすべての人格部分と会い、治療についての契約をそのすべてと交わす必要があるとした。ただし人格部分との出会いが、治療の進展により必然的に生じるのであれば問題ないものの、眠っている人格部分を不必要に覚醒させることにつながるのであれば、その是非は個別の臨床場面において判断されるべきであろう。
治療目標として人格間の統合 integration や融合 fusion を掲げることは、一部の人格の消失をニュアンスとして含む場合には、人格間の混乱を引き起こしかねないために慎重さを要する。望まれる治療の帰結は交代部分間の調和であるが、それは特定の人格部分の消失を必ずしも意味しない。ただし調和が、かつて存在が確認されたすべての人格部分の共存により達成できない場合もある。
 治療者は人格部分の理想的な調和を阻む要素にも留意すべきであろう。それらは加害者との継続的な接触、家庭内暴力などによる慢性的で深刻なストレス、うつ病などの精神医学的ないしは慢性疾患などの身体的な併存症、治療を受けるための十分な経済的な背景を持たないこと、社会的に孤立していることなどである。
DID を持つ患者のかなりの部分は、大きなストレスがない保護的な環境に置かれることで、ある種のきっかけにより比較的急速に人格部分の出現がみられなくなり、「自然治癒」に近い経過をたどることが観察される。華々しいDIDの症状を見せる症例が10代後半から30代に比較的限定されるという事実からも、このことが推察される。ただしそのような例でも多くが長年にわたり心の中に人格部分の存在を内側で感じ続けたり、時折幻聴を体験したりすることが報告されている。

 治療の各段階
以下に主としてDID の個人療法について3つの段階に分けて論じる。
1段階 安全性の確保、症状の安定化と軽減
治療の初期には、異なる人格部分の目まぐるしい入れ替わりが生じている可能性がある。この段階においては、患者に安全な環境を提供しつつ、表現の機会を求めている人格部分にはそれを提供し、それらの人格部分のいわば「減圧」を図ることも必要となろう。治療者は患者とともに、別の人格部分により表現されたものを互いに共有するための努力を払う。時にはそれぞれの筆記したものを一つのノートにまとめたり、生活史年表を作成したりするという試みが有効となる。治療は週に一度、ないしは二週に一度の頻度が求められよう。

2段階 主要な人格部分が解離以外の適応手段を獲得することへの援助
人格部分の入れ替わりや、子供の人格、攻撃性を持った人格の活動が落ち着いた時点で、治療の第2段階に入る。主人格、すなわち主として生活を営む人格が定着し、主人格との治療関係性が深まる。それとともに主人格が幅広い感情を体験できるようになり、過去のトラウマについての記憶も、人格交代を起こすことなく想起出来るようになる。(ただし主人格の日常生活への定着を図ることには、時には困難が伴い、二、三の人格部分の共存や競合が避けられない場合も少なくない。その場合は治療の目標はいかにそれらの人格部分が平和的に共存していくかについての検討となり、いわばグループ・ワークの様相を呈することもある。)

3段階 コーチングと家族相談の継続
順調に治療が進み、回復へのプロセスを辿った場合、頻回の治療は徐々に必要がなくなっていくであろう。しかし隔月等に定期的にセッションを設け、状態の改善具合や家族との関係についてのコーチングを継続することの意味は大きい。また患者がうつ病などの併存症を抱えている場合には、精神科受診による投薬の継続も必要となろう。
 DID の患者がどのような家族のサポートが得られるかは、予後を占う上で非常に重要な問題である。DID の症状の深刻さは基本的には日常的な(対人)ストレスのバロメーターと言えるであろう。有効な治療を受けていても、家庭内暴力が日常的に生じている家庭に患者が戻っていくのでは、その効果は半減してしまうだろう。また患者の同居者が一度は治療的な役割を担っても、早晩その自覚を失ってしまう可能性もある。その意味では同居者を伴った継続的な受診は、よい治療環境を維持する効果を持つ。

ちなみに我が国で著されたDID の治療論としては、安克昌のそれには一読の価値がある2)。安は Richard Kluft10)の示した治療の9段階に沿って治療論を展開する。治療者は患者にかつて生じた外傷体験を一つ一つ除反応 abreact していくことにより、記憶の空白が埋められて行き、それにより次の段階の統合-解消 resolution へと向かう。この段階説は、治療論として高い整合性を持つものの、臨床的な現実とやや齟齬があるという印象を受ける。DID の治療においてしばしば遭遇されるのは、多くの、あたかも「自然消滅」していくかのような人格部分の存在である。それらの人々がことごとく過去の外傷体験についての除反応を経たとは考えにくい。DID の治療は多くの偶発的な出来事に左右され、治療者の思い描く治療方針通りに進まないことが多い。治療者は患者の身に降りかかるライフイベントや人格部分の予測可能な振る舞いに対応しつつ柔軟な姿勢を失わないことが重要であろう。
安(VI.解離性(転換性)障害 B診断と治療 臨床精神医学講座5 神経症性障害・ストレス関連障害 中山書店 pp.443470)は今となっては歴史的な意味合いの大きいリチャードクラフトの治療論を基盤とし、きめ細かな配慮を見せつつ治療論を展開する。彼は治療段階を9段階に分けている。これは実はクラフトの9段階に分けた治療論を展開していて、安先生は見出しも同じにして解説している。)第1段階。精神療法の基礎を築く。
2段階 予備的介入 第3段階 病歴収集とマッピング 第4段階 心的外傷の消化 第5段階 統合-解消への動き 第6段階統 合-解消 第7段階 新しい対処技術の学習 第8段階 獲得したものの定着化とワークスルー 第9段階 フォローアップ となっている。
私はクラフトの理論を歴史的、と言ったが、「精神分析的」と言い換えてもいいようなところがある。たとえば第4段階の心的外傷の消化、とは要するに患者にかつて生じた外傷体験を一つ一つ徐反応 abreact  していく、とある。それにより記憶の空白が埋まっていき、それにより次の段階の統合-解消resolution へと向かう。それは理屈ではそうである。しかしあまりにも理想的すぎるというのが私の偽らざる印象である。解離性障害の治療経験が重なるにつれて尊重されなくてはならないのは、たくさんのあたかも「自然消滅」していくかのような人格部分の存在なのである。彼女たちの多くにとっては、異なる人格が存在しなくなるわけではないが、それらは日常生活にあまり姿を現さなくなるのだ。そしてそれらの人々がことごとく過去の外傷体験についての徐反応を起こしているとは思えない。このように考えるとやはり安氏が今ご存命なら、私の意見に少しは同調していただき、9段階説を若干書き直していただけるのではないかと思うのである。


 グループ療法
これまでの記述は個人療法に関するものであったが、DIDの患者を対象とする均一グループによる治療も治療的な意味を持つ。ただし患者はほかの患者が語る過去のトラウマの体験に対して非常に敏感に反応し、フラッシュバックや人格の交代が誘発される場合が多い。またそれぞれの患者が持つ複数の人格部分同士の言語的、非言語的交流というファクターを考えた場合、治療者の側の扱える範囲を超えた力動が生じる可能性がある。ある意味ではDIDの治療はたとえ一人の患者を扱っている際もそれが一種のグループ療法としての意味合いを持っていることになる。そこで個人療法がある程度ペースに乗り、治療の第3段階を迎えた際に初めて本格的なグループ療法が可能であると考えられる。

 入院治療
患者の自傷行為や自殺傾向が強まった場合、ないしは人格の交代が頻繁で本人の混乱が著しい場合などには、一時的な入院治療の必要が生じるであろう。入院の目的としては、患者の安全を確保し、現在の症状の不安定化を招いている要因(たとえば家族間の葛藤、深刻な喪失体験など)があればそれを同定して取り扱い、外来による治療の再開をめざすこと等があげられる。
解離性障害の入院治療の意義としては、病棟による安全性が保たれることで、患者の退行を懸念する必要も少なくなり、より踏み込んだ治療が行える可能性が生まれることがあげられる。外来治療においては特定の人格部分のまま治療を終える事が出来ない場合、実質的にその人格部分を扱う時間は非常に限られるが、入院治療においてはその限りではない。また入院中に家族を招いてのセッションなどが可能な場合もあろう。
現在の我が国の精神科病棟での解離性障害の治療の在り方を考えた場合、その治療の多くが短期間の安全の提供や危機管理、症状の安定化に限られる傾向にある。しかし長期の入院の期間が経済的その他の理由で可能であれば、外来において注意深くトラウマ記憶を扱ったり、攻撃的ないしは自己破壊的な人格部分に対応したりすることもより可能となる。またトラウマや解離性障害を治療するような特別の病棟がある場合にはなおのこと、治療効果を発揮するであろう。

2DFの治療

DFに関する治療指針は十分に治療者の間で合意を得られたものはない。患者はそれまでの記憶を失なった状態で発見され、警察に保護されたり救急治療室に搬送された後に、精神科への入院となるケースが多い。そこで身体疾患を除外するための様々な検査を経るのが通常であるが、比較的特徴ある臨床経過のために比較的スムーズにDFとしての診断にいたることが多い。ただしいったん診断が定まった場合は、特別な治療的介入が行われることなく経過観察のために数週間が費やされることが少なくないようである。しかしDFの患者の多くは際立った神経学的な特徴もなく、一定期間の記憶を失ってはいるものの、その多くは早晩日常生活に戻れる状態にある。
 治療者は外来においては、患者が日常生活に戻るために必要な情報の再学習を援助し、また遁走にいたった契機となった可能性のある社会生活上のストレス因について探索し、それを回避することを助けることが望まれる。患者は基本的にはエピソード記憶以外の記憶(手続き的記憶、スキルそのほか)を保持しているため、その早期を含めたリハビリテーションも有効な治療となるであろう。
筆者はDFの患者を対象として、心理士と協力して生活史年表を作成する試みを行っている。患者は記憶を失った期間の自分の行動のうち外部から情報を得られる分を集め、その期間に身の回りに起きた出来事や社会現象、話題を集めた歌曲や文学作品、映画やテレビ番組などを学習することで、社会生活に復帰した際のハンディキャップを軽減することが出来るであろう。ただしそれらの努力により健忘していた期間の記憶が突然よみがえることは少なく、そのため記憶の想起を第一の治療目標とするべきではないであろう。

おわりに


以上本稿では解離性障害の診断から治療まで足早に論じた。解離性障害はそこに転換症状まで含めた場合にはきわめて裾野の広い障害であり、限られた紙数で包括的な議論をすることは不可能であるために、DIDDFに偏った記述となった。
 わが国ではまだ解離性障害は臨床家の間でなじみがなく、その治療法も確立していない。しかしその治療の原則の一つとしては、そのほかの精神障害と同様、治療関係において安全を確保しつつ、本人の自己治癒力を最大限に引き出すことにある。今後より多くの臨床家がこの障害についての知識を深め、誤解と偏見を排することで治療効果を一層期待できるものと考える。
 なお、本論文に関連して開示すべき利益相反はない。