2014年10月23日木曜日

脳科学と精神分析(推敲)(12)

ええっと、どこまで行ったっけ。次は、④だな。
   更にそのような脳は幼少時より数多くの臨界期を重ね、そこで遺伝子の発動と環境との精妙なやり取りを通して形成され、成立していく。
そしてその根拠として、アラン・ショアやルイス・コゾリーノの説を挙げて、最後に「これらを通して浮かび上がってくるのが、ネットワーク的かつモジュール的な脳であり、それを通して生まれてくるのが離散的、非力動的な心の在り方である。私たちは患者の言葉をまず信じつつ、深読みをせず、様々な離散的な心の在り方に目を向け、そのトラウマに根差した病理を理解しつつ、主としてサポーティブな姿勢で、治療を行っていかなくてはならない。という感じで論じていくわけだ。この最後の部分は結論というところだ。そこでこの④であるが、以下のようにはじめようか。
 これまでは情報処理システムとしての脳について述べたが、もちろんそれが生まれた時から成立しているわけではない。
最近読んだ「やわらかな遺伝子」という著書で、マット・リドレーは従来の「氏(うじ)か育ちかnature or nurture」という考え方を批判し、氏も育ちも、あるいは「育ちを通した氏 Nature via Nurture(この本の原書の英語の題名でもある)という考えを提唱する。私たちはともすると、「人は生まれつきどのような存在になるかを遺伝子で規定されている」という考え方か、「いや、育ち、つまり養育環境ですべてが決まる」という主張のどちらかに偏りがちなのだが、まさに両方が人(の心、脳)の成立に関与しているということをわかりやすく説明している。彼はたとえばローレンツの刷り込みの例を挙げ、灰色ガンが生まれてすぐに目にしたものの後を追うという現象を説明した。しかしこれは特定の遺伝子がほんの一時期の臨界期にスイッチオンになった時の環境を取り込む、という現象で説明される。それを過ぎると灰色ガンは何を見てもそのあとを追うことがなくなるのだ。
カモがセスナに「刷り込まれ」て、一緒に飛んでいるというのだが…



これはどういうことかというと、遺伝子は単なる青写真ではなく、それがいつスイッチ・オンになるかまで極めて細かく決められていて、その間にどん欲に環境を取り込むということなのだ。そして人の脳にはこのような臨界期が幾重にもあり、その時々で「育ち」の影響を取り込んでいく。つまりその意味では人の脳は、育ちのコラージュと言ってもいいであろう。ただそのハードウェアの大枠は遺伝子で規定されている。脳のサイズも、どこの部分が本来大きくなるか、なども決められているところがある。IQも半分はその傾向があり、すなわち臨界期に育ちを取り入れる程度や質が、遺伝子により定まっているところもある。いわば遺伝子は育ちを取り入れる受け皿であり、そこにどのような育ちが入ってくるかに個人差があることになる。たとえば言語能力に優れた子供は大きめの受け皿を持っていても、そこにどのような言語の刺激が、どれだけはいるかにより言葉の能力が決まってくるように。