2014年9月27日土曜日

治療者の自己開示(12)

ここまで書いたらBの方も検討しなくちゃね。Bとは、消極的な自己開示で、それがB1.意識化されているもの、B2.無意識的なもの、と分類されるのであった。我ながらしつこいな。

B1の例から挙げよう。治療者は誤ってデスクの上に今度出席する学会の案内のパンフレットを置いたままにしておいた。その日にどうしてアポイントメントをキャンセルするかを、治療者は患者に伝えないつもりだった。こういう例を出すと、B2も作りやすいぞ。
B2 同じ状況で、治療者はそのパンフレットが患者さんの目に触れるところにあったことに気が付かなかった。B2‘もあるな。実はそのパンフレットは、治療者が患者さんに無意識的に見せたいものだった。うーん、ちょっと無理な設定かな。だったらまたフランクフルトだ。治療者は何となく患者さんに「僕もヨーロッパの学会に行くことがあるんだよ。」と自慢したい気持ちを抑圧していた、ということにしよう。(しかしそれにしてもドイツ語で書かれたパンフレットを患者さんがちらっと見ただけで意味がわかるという想定は無理があるな。まあいいか。)

B1 の治療的要素;治療者が防衛的にならずに、自分に関する事情をことごとく治療室から消し去るような態度ではないということが、患者に示す安心感?
非治療的要素;治療者のことを知りたくないという患者の願望を満たせなかったこと。だからと言ってそれが悪いともいえないか。B1の治療的要素、非治療的要素を考えると一つ結論としていえるのは、治療空間はやはりお客様を招く場所であり、そこで過度に露悪的な、露出的な環境を保つことは決して治療的ではないということ。しかし「無菌的」である必要もない。その点に関して治療者が節度を持ち、かつリラックスしているということが大切であろう。どちらに行きすぎても非治療的、程々であれば治療的であっても非治療的であっても、利得も実害も大したことはないだろう。というよりB1に治療的、非治療的ということを考えることがあまり適当でない。(と自分が始めた議論であることを棚に上げる)。結局は起きてしまうことだから。
それとこれは大事なことだが、治療者はそれに気が付いているという条件であるからには、それが患者に与えたであろう影響について、率直に話す事が出来る環境を作ることが大事であろうということだ。むしろそちらの方が大事か。
B2についてもほぼ同じことが言えるだろうか。ただし治療者は気が付いていないのであるから、それを治療場面で話題として取り上げるわけにはいかないという点が違うことになるだろうか。