2014年7月19日土曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)17

次のクリフ(168ページ)のケースはわかり辛かったが、臨床的には出会うタイプのケースなので、わかった分だけ紹介する。
 クリフは40代前半の男性で、結婚して二人の幼い娘がいる。奥さんはキャリアーウーマンで、クリフが稼いでいた給料の5倍は稼ぐというので、彼は結婚してからは主夫業に専念している。朝は早起きをし、二人の娘を送り出し、掃除洗濯をし、午後は夕食のための買い出しをし、学校から戻った娘たちの宿題を手伝って、やがて至福の時間が訪れる。夕方6時を過ぎると妻が帰宅し、家事をタッチ交代してくれる。そこで6時からはクリフの「ドリンキングタイム」となる。妻の帰りを待ちながら、彼は一人の世界に入り込み、寝るまでの時間を満喫するのだ。
 自宅に帰った妻はそのようなクリフに距離を置き、話しかけない。というより既に彼の方から「話すなオーラ」が出ている。そこで妻はそんなクリフの機嫌を伺い、むしろあまりかかわらないようにしている。ともかくも家事全般をしっかりこなしてくれるので、それ以上は要求しないのだ。
 こうしてクリフは過去数年も酒を毎晩飲み続け、肝臓を壊してTRPの受診となったのだ。しかし治療者がいろいろ手を施しても彼のアルコールの量は一向に変わらない。一日10杯のバーボンというペースを変えようとしないのである。
 そこで治療者は彼にイメージ療法を施した。そして家の中で夕方6時になりリラックスした際に、肝心のアルコールを切らして飲めない状態になったことを想像してもらった。そしてジェンドリンのフェルトセンスのテクニックを使用し、その時の体感を伝えてもらう。するとおなかの中に塊が感じられるようになった。治療者はその場所や色まで想像してもらう。すると真っ赤な熱い塊ということになった。そこで治療者はさらにその塊に「しゃべって」もらうよう促す。すると「何もいうな」という声がする。やがて彼が小さいころ母親の前にいて、同じことを考えていたことを思い出す。(ちなみにここら辺のプロセスは相当の数のセッションを経ているが、非常に簡略化してここにまとめてある。)
その後に結局話は幼児期にさかのぼり、彼は小さいころ学校で非常にみじめな時間を過ごしていたという話になる。勉強は苦手でスポーツもダメ、女の子にももてない。とにかく学校ではまったく価値のない人間と感じていたのだ。しかし母親は家に戻ったクリフに学校でのことを聞きたがる。そこでクリフは黙ってしまって、親をヤキモキさせる。そのうちそれが彼の唯一コントロールできること、ということになった。母親に対して口をきかないということが彼女を操作し、クリフに優越感を起こさせる。そこにひそかな喜びを見出すようになった。そしてそれが現在の状態でも起きていたということになる。彼は妻に食べさせてもらい、主夫をし、しかし飲んだくれで体を壊し、それでも結局は酒を止めない。それが唯一の彼にとってできる自己愛を守る方法だったのだ。
さてこの後の臨床記述は、どのような治療者のかかわりがミスマッチを起こさせていたかが明確にはわからないようになっている。ただしこの治療者の立場が非常にパラドキシカルであり、苦労に満ちたものであったことは想像できる。なぜならクリフのアルコール中毒を治そうという努力は、彼の力を奪うことになってしまうからだ。そこで治療者は「治そうとしないことで治そうとする」独特のスタンスをとることになる・・・・・。

まあこんなところか。しかし書いていて思ったことがある。禅問答にしても森田療法の恐怖突入にしても、ロゴセラピーの逆説志向にしてもなにかTRPのミスマッチに似た体験を作り出しているのではないか?