2014年7月31日木曜日

解離とTRP (推敲) 2

大阪府警の全65署が過去5年間の街頭犯罪などの認知件数約8万1千件を計上せず、過少報告していたことがわかった。府警が30日に発表した。街頭犯罪ワースト1の返上に取り組むなか、件数を不正に操作していた。2010年にワースト1を返上したと発表していたが、実態は違った。処分対象は97人にのぼった。刑事総務課によると、昨年、堺署など一部の警察署で過少報告が発覚。これを受けて全65署の担当者約460人から聞き取った。
というニュース。私は基本的には人間はいい加減だから、こんなことはよくあるのだと思う。それよりもこれを発表するところが、日本はそれだけ健全ということだろう。たいがいは一種の内部告発だろうが。

さて子供の人格に再固定化を促すべく、TRPを施すとは何を意味するのであろうか?
 ここでTRPについて少し復習しよう。私たちが学んだのは、トラウマ記憶がそこに流れている確信的な考えとともに、それとミスマッチな考えを隣接させることで、再固定化が起こるということだ。そしてさまざまな例を見たわけだが、そこで提示された症例はどれも、ある種の文章化しうるような思考内容を抽出し、それをインデックスカードに書いて宿題として何度も声に出して読んできてもらうという形式をとっていた。ある意味ではかなり認知療法的な手法ともいえる。
 しかし解離の場合にはおそらく通常の認知療法的な手法はあまり通用しないはずだ。インデックスカードを用いた宿題が意味を持つのは、それが一般して一つの人格により行われていることを前提としている。しかしDIDの場合には事情が異なる。ある人格Aが学んだ内容を人格BCは把握していない可能性があるのだ。そのためにたとえば人格Aに対して、あるいはBCに対して個別にこのTRPのプロセスを行っていくことになる。そしてその具体的な手順としては、おそらく考えを文章化する、という形ではなく、より体験的、実践的なセッションになるはずである。
 例えば以前紹介したケースBを思い出していただきたい。Bさんは20代後半の女性で、閉所恐怖症があり、車に乗っていて渋滞に巻き込まれると、胸のあたりがざわざわしてくる、というあのケースだ。Bさんの場合の治療者は、その状況を思い出してもらい、そこでイメージの中で新たな行動に出てもらうことでその記憶の再固定化につなげた。もちろんこの例で渋滞に巻き込まれたBさんは別人格ではない。しかしそれはトラウマの再現であり、それを体験しているBさんはいつもとは異なる心の在り方をしているはずだ。そしてこのような手法を、DIDにおいて傷つきを体験している別人格について応用することができるであろう。
 ここであるDIDの患者Bさんを考え、そのトラウマを負った子供の人格Bちゃんを考える。Bちゃんは幼少時に野犬に襲われて瀕死の重傷を負ったのである。するとその人格が出て反しているときにそれを想起してもらい、Bちゃんが「こうすればよかった」というイメージを浮かべ、さらには実行したつもりになってもらうという作業がもし可能であれば、それは再固定化につながる可能性がある。たとえばその犬に対して突然魔法の剣を取り出して斬り捨てる、ドラえもんに登場してもらい、撃退してもらうなど。

このようなプロセスの際、そのような作業を行うためにBちゃんを呼び出すか否か、という問題があるが、もちろんBちゃんが「眠った子」である場合に「起こす」必要はないであろう。その外傷記憶は再固定を待つまでもなく風化しかけている可能性があり、その場合に新たに呼び起こすことは治療的とは言えないからだ。

2014年7月30日水曜日

解離とTRP (推敲) 1

佐世保の事件。もちろんさまざまなことが関与している可能性があるが、やはり器質的、つまり脳の問題が大きいのだろう。他者の痛みを感じ取る仕組みに問題があり、これはおそらく教育の問題とは無関係。「学校は何をしていたのか?」「10年前の教訓はどうなったのか?」も、おそらくどれもピントはずれ。「どうして佐世保ばかり・・・」というのもおそらく偶然。そのような欠陥がある人がいくつかの傷つき(自分の痛みはもちろん当人にも普通にわかる)の結果起きてしまった事件。病気と言えば病気だが、心情的には「加害者もまた病気の犠牲者」と考えるわけにはいかないジレンマがある。もちろん社会復帰には反対。(10年前の加害者は社会復帰をした、と聞くが…。)

ここからしばらく解離とTRPの関係について考えたい。そもそもこのブログは解離性障害に向けられたものであり、再固定化やTRPについてこれまで長々と考察してきたのは、それが解離の治療に役立てる事が出来るかどうかについて考えているからだ。
 記憶の改編や再固定化について論じた後に解離性障害について考えると、改めてその在り方の不思議さを感じる。ABという、互いに健忘障壁のある人格を考え、それに相当する神経ネットワークABを考えてみる。常にこの二つはその人の中で頻繁に興奮しているはずなのに、この二つがつながらず、共鳴しないのだ! あたかもつながる機会がありながらわざとつながろうとしない、という印象を受けるのである。
 このABの疎通性の欠如はおそらくA,Bの間にシナプスの形成が行われていないという状況とはおそらく違うと私は考える。Aが興奮しているとき、Bは抑制される、という機制がない限り、人格間のスイッチングは起きないのではないかと思う。そう、思考ないし記憶の神経ネットワーク間のつながりは、両者を結ぶ神経線維があるかないか、だけでなくそれが興奮系か抑制系か、という問題も含む、実に複雑な話なのである。以上を前置きとして・・・・。
交代人格との出会いはトラウマの再演でもある

交代人格との出会いは、いつでも外傷記憶を扱うことというニュアンスを持つことは確認しておきたい。それはその子供人格がいつもおびえ、泣き叫ぶという形で出てくるような場合にはなおさらである。その際はトラウマのフラッシュバックと似た現象としてとらえることができる。ただし子供人格の出現は、フラッシュバックより一つないし二つほど「次元が高い」現象と理解することが出来る。PTSDにおけるフラッシュバックがある種のトラウマの時のシーンの二次元レベルでの、静止画的な再現とすると、子供人格の出現はそれが継時的な動画のようであり、その時の自分が舞い戻っているという、より複合的な現象だからである。またこのことは、PTSDのフラッシュバックも一種の人格交代現象に類似する、という見方を促すことにもなるであろう。このことはいわゆる構造的解離理論の第1次解離という概念が含意していることでもある。(この理論では、PTSDもやはり解離、なのである。)
 ともかくも子供人格がトラウマを抱えている場合、そのトラウマのシーンはいつもきまっていてそれを反復するという印象を与える。ファンタジー上のいくらかの加工はともなっていても、あたかも同じシーンを何度も繰り返すかのようである。
 ただし子供の人格にはとても無邪気で創造的でクリエイティブな振る舞いを示すものもある。一見明白なトラウマを抱えているわけではなく、ただ遊ぶことを目的に出てくるように見える子供たち。臨床上はこちらに出会うことの方がむしろ多い。彼らの目的は何であろうか?おそらくこちらは異なる由来を持つ可能性がある。前者がトラウマを抱えてそのフラッシュバックという形で出現するとすれば、後者はむしろ愛着障害に由来するのではないか。そしてその意味ではトラウマ由来といって言えないことはない。

2014年7月29日火曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)26

神経回路同士のつながりが不完全な場合
これらの三つの例においては神経回路の疎通性の成立ということを、記憶やイメージの改編の仕組みとして考えた。この場合その記憶の改編はかなり具体的な脳のレベルでのシナプスの形成によるものと考えることができる。なぜならAさんが産業スパイであるという思考、CさんがD県人であるという思考、Eさんに被害を与えたFは殺人者であったという思考は、それ自身がかなり具体的な事実認定であり、そのシナプスの形成はその根拠が保障されているからである。それはたとえばAさんが産業スパイではないか、と単に想像しているだけであったり、Cさんが同県人ではないかという噂を聞いただけであるという場合とはかなり異なる。それらの場合はいっぺんに相手に対する印象が変わるということはないであろう。それ等の可能性はAさんやCさんに対するそのほかの様々な属性と同様、不確実なものであるが、それはAさんについてそれ以外にもたくさんある不可実な可能性と同様である。それらとはすなわちAさんが「本当は悪い人間ではない可能性」とか、「何らかの理由で私に恨みを持っている可能性」「ゲイである可能性」などと同様である。
 このような場合は、神経回路AとB、CとDとのつながりはどうなっているのであろうか?私の推測ではあるが、そのつながりは不完全で、シナプス形成はかなり弱い(細い?)ことになるであろう。すなわちAが興奮しているときのBの共鳴の仕方が十分でなく、それは主観的にそのつながりの弱さを、つまりはその結びつきが可能態でしかないことを感じさせるのであろう。
たとえば次のような思考実験をしてみる。同僚CさんがD県出身であるということを、しばらく前にどこかで聞いていた気がするが思い出せない、という状況である。その時はまだCさんに出会っていず、その人となりに特に関心もなかった。そしてその新人の出身地が何らかの形で伝えられた時から時間がたっているために、その記憶もすでにあいまいになっているのである。この場合はそれを聞いていた時には記憶をしていた内容が「消去」されかかっていた状況と考えると、シナプスの結合が弱くなっていると考えることができる。そう、「~かもしれない」と想像している状況とあまり変わらないのだ。
この時の神経ネットワークAとBとの関係は微妙である。両者はつながっているようでつながっていない。それは想像上一時的につなげることはできるが、いわばその時だけ臨時に梯子をかけたような状態であり、実際のシナプス結合には至らない。あなたはAさんの挙動から産業スパイではないか、とふと思ったとする。実際にそうだとすると納得のいくような挙動が多々見られると考える。しかし「そんなバカな」「俺は何を夢想しているんだろう」という形で打ち消した途端、一時的に共鳴していた神経回路AとBはすぐその共鳴をやめてしまう。想像していた時はAとBを一時的につなげてみただけであり、それは実際のシナプス形成にはつながらない。もしそれがシナプス形成を多少なりとも生むとしたら、Aさんが産業スパイであるということを何度も想像するうちに確信に至ることにもなりかねないが、その種の精神病理が存在することは論を待たないとしても、ふつうはそれは生じないのである。

2014年7月28日月曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)25

Aさんがスパイであるということを知らされることで、Aさんに対する見方が一変するという例を挙げたわけであるが、これは記憶や観念の性質が、ある種の意味付けを与えられることで改変を受けるという例と考えられる。
同様の例をもう一つ挙げておこう。あなたの職場に新しく入った同僚Cさん。どうもいい印象がない。面と向かって話したことは一度もないが、いつも人を見下すような、自信ありげな強い口調がいけ好かないと感じている。ところがある時、そのCさんが、D県のある高校の出身であることを知った。あなたもD県出身である。「なんだ、同郷ではないか。しかも同じ地元だ」それに話を聞くと学年もあなたとあまり違わず、ということはどこかですれ違っていた可能性もある。すると途端にCさんに対する印象が違って来る。自分はD県人出身の人間はとっつきにくいが悪い人間はいないと思っている。Cさんもぶっきらぼうで言葉は荒っぽいが、人は悪くないのかもしれない。今度飲みに誘ってみよう、と思うようになった。
 この場合CさんとD県人との神経ネットワークは一本でつながったことになる。するとCさんのイメージは、D県人というイメージに強く影響を受けることになり、あなたのCさんに対する心証はガラッと変わってしまうことになるだろう。
ところでこのような神経ネットワークの成立は、それまでの非外傷的な体験を外傷体験に変えてしまうという作用も有する。そのような例を米国滞在中に聞いた。ある女性(Eさん、としよう)はある男性 F に付きまとわれて、危うく性被害に遭うという体験を持っていた。彼女はそれに傷つきはしたが、さほど深刻な反応は起こさなかった。ところが後になって捕まった男性 F は、何人かの女性に性的暴行を加えたあげくに殺害していたということがわかり、それが大きく報道された。その報道に接して、自分にトラウマを負わせた男が実は殺人犯であったことを知った E さんは大きなショックを受け、「一歩間違えれば自分は殺されるところだった」と思ったという。その時からフラッシュバックや感覚鈍麻などを伴ったPTSD 症状が始まったのだ。
この E さんに関して生じたのは以下のことだろう。F に付きまとわれた記憶はネットワークを形成していたが、それ自身はさほどトウラマにはなっていなかった。しかし F が殺人者と知り、その記憶のネットワークが興奮するときは殺人者という恐ろしいイメージとともに興奮することで、その記憶の一つ一つが異なった意味合いを持つようになった。その結果として付きまとわれの記憶はことごとくフラッシュバックを伴うほどに外傷性の意味合いを持ってしまったのである。

2014年7月27日日曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)24

今日は猛暑の中を「さちくり」(高田の馬場)の勉強会。夕立が幸いした。雨がありがたいと思うことはこんな時くらいだ。


記憶の改編および再固定で起きていること―「補助線」仮説
 最後に記憶の改編および再固定化の際脳の中で起きていることに関する私の仮説を示したい。それは私が「補助線」仮説とでもいうべきものである。幾何学で補助線を一本引くと見えなかったものが急に見えてきて、問題が一挙に解決するように、脳においてもわずかな神経回路の疎通が、ある種の記憶や思考内容の全体の質を変えるということが起きるのではないか。そしてそれが記憶の改編や再固定化で生じているのではないか、というのが私の仮説である。
まず最初に用語の問題について述べておきたい。私が改編 transformation と表現するときは、ある記憶内容が異なる意味を持って成立しなおすことを指す。その際の記憶は数日以内に起きた事柄についての記憶も、数週間たって皮質に転写された長期記憶についても両方を指す。一方記憶の再固定化は、その対象はおそらく皮質に移った長期記憶に対して用いる。この区別をしておくことは治療的に大事であることは言うまでもない。数日以内であれば、CISDによりその外傷性が増す可能性があるが、皮質に移ったものについては、その記憶の再生は外傷性は低く、暴露療法や再固定化の対象となるわけである。
再固定化と気づき体験
そもそも記憶の改編や再固定化とは、それほど特別な現象なのだろうか? たとえば気付きとか、「あ、そうか!」体験で起きていることとあまり変わらないのではないだろうか、という疑問も持っている。これについて少し考えて見よう。
 そもそも私たちがある事柄について決して忘れないような体験をする時、脳の中で何が起きているのか? 例えば長い間考えあぐねていた問題にあるヒントが与えられ、そこから一気にその問題が解決したとしよう。いわゆる「あ、そうか!」体験である。これは一度それが生じた場合には、二度とそれを忘れることはない性質のものである。その意味ではその問題に関する思考そのものが改編され、ないしは再固定されたということになるのだろう。
 この例で志向が改編ないし再固定化された際の脳の中の機序は、ある意味では容易に想像できることだ。ちょうど円環の最後がつながったような状態である。神経回路AとBがすでに形成されて、あとはAとBをつなぐ一本の回路が形成された状態と考えられるであろう。それにより主観的には「ああ、なんだ、AとはBのことなのだ」あるいは「ああ、AがBを引き起こしたのだ」という体験となろう。その後には「AとはBだよ」という説明を繰り返し聞く必要がない。ほんの一回だけ、それも耳元でささやかれるだけでも、「AはBだ」はそれ以降は再び学習をする必要がないほどに迅速な効果を及ぼす。学習という意味ではこれほど効率のいいものはない。
ひとつ例を挙げれば、私の主張が理解しやすくなるだろう。たとえばあなたの職場にAさんという同僚がいるとする。彼はどうも不思議な人で、今一つつかみどころがないという感じを、あなたは時々持っていたとしよう。どこかで打ち解けないような、でも時々酒の席などで急に馴れ馴れしさを示してくるところがある。秘密めいたところがあるようでいて、同時に開放的なところもある不思議な人Aさん。ところがある日から出社しなくなり、ライバルの会社から送り込まれた産業スパイであったことが判明したと、のちになって知らされる。あなたはそれによりこれまでAさんに対して持っていたさまざまな疑問が一気に解決する。「そうだったのか、Aさんは産業スパイだったのだ。だからおかしいと感じていたのだ。」という理解は、おそらく永久にあなたの記憶に残るのである。
「産業スパイとしてのAさん」という思考の持つ量は膨大である。それはその事実を知らされるまではあなたの頭に存在しなかった。しかしどうしてそれがほんの一瞬にして、しかもほぼ半永久的に形成されるのであろうか?私たちは4ケタの番号を記憶するのでさえ、何度も復唱しなくてはならないのである。それは何よりAさんに関する様々な情報はすでに蓄積されており、また産業スパイという概念に関してももちろん成立しており、あとは両者の間に一本の回路が形成されただけだからである。ちょうど水をたたえた二つのダムの間に掘られたトンネルのようなものだ。シャベルによる最後のひと堀りで両者がつながる。すると一つのダムになるのである。
 ただしもう科学的にはAとBがつながる、ということはダムがつながる以上の大きなインパクトを与えることになる。それはAとBという二つの神経回路が「同期化」するようになるということである。

ある思考内容が想起されているとき、それに相当する神経回路は興奮した状態になるが、それが同期化しているということが大切である。すなわちそれがひと塊として興奮し、その興奮の波形が一致することで(より正確にいえば、それぞれのサインカーブの位相が一致していることで)、その細部にまで思い至ることができる。Aさんを思い浮かべているとき、例えば彼の顔を想起した直後に声を想起することは比較的容易であろうし、彼の過去の経歴について聞き及んでいることも同時に思い出されるであろう。それはAさんに関係した様々な情報や記憶に関する回路が同時に励起しているからこそ可能なのである。
 さてAとBという回路につながりがないということは、Aの興奮に際してBが同時に興奮しない、つまり同時に想起できないということだ。そして両者につながりができるということは、Aの興奮がBの興奮を呼び、ないしはその逆のことが生じ、それが位相を同じくするということだ。それによりたとえばAさんの顔を思い浮かべても、その会話の記憶を掘り起こしても、それが「産業スパイ」という思考と同時に興奮するようになる。これはおそらくこれまでのAさんの記憶に全く新たな色彩を与えることになる。「Aさんがあの時あのような表情をしたのは、スパイであることの後ろめたさのせいだ」「彼が語ったあの経歴はあまり真実味がなかったが、おそらくまったく虚偽だったのだ。」という形で、である。

2014年7月26日土曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)23


デブリーフィングの問題から学ぶこと―新しいトラウマ記憶と古いトラウマ記憶
このデブリーフィングの問題をもう少し臨床的に考え直してみよう。というのもCISDが有害であるという結論は、私たちの日常臨床的な発想とはかなり異なるからだ。もちろんこの話が、このブログですでに論じた、「いやなことがあったらすぐに話すことにより記憶が改編され、解毒されることがある」という話と矛盾していることは、賢明な読者ならすぐにお気づきであろう。そしてこのことがトラウマを扱う際の治療者に非常に大きなジレンマを生んでいるのは確かなことなのだ。なぜつらいことがあった時にすぐに話せば楽になる場合があるのに、グループでデブリーフィングをするのはよくないのか?
私の考えでは、デブリーフィングで外傷記憶が悪化するのは、おそらくごく一部の例であろうということである。その例では確かに「レコード盤のデコボコがさらに深まる」という事態が起きるのであろう。しかしそれ以外の例ではいい意味での記憶の改編が生じることが多いのだ。私の考えでは、デブリーフィングに関する教訓は、「トラウマの直後に体験を話すことを促すことで、その人の外傷的な記憶がより苦痛を伴わないものに改編される、と決めつけてはならない」ということでしかない。極論をするならば、トラウマの直後に気持ちを表現したい人を「ダメですよ、デプリーフィングになってしまいますから」と言って放置することの非倫理性もまた問われなくてはならないだろう。
デブリーフィングの問題が端的に教えてくれているのは、私たちはおそらくトラウマ記憶を、新鮮なそれと陳旧性のそれとに分けて考える必要がある、ということだ。確かにトラウマが生じて間もない記憶の扱いには気をつけなくてはならない。彼らに「詳細な描写を求めること」には慎重にならなくてはならない。しかし同じことをトラウマを受けて1年以上経った患者さんに当てはめるだろうか?それではそもそもエクスポージャー療法が成り立たないであろう。 
常識的に私たちが知っているのは、時間がたったトラウマは、それを語らせることでそれが深刻な形でよみがえると言うことは普通はない、と言うことだ。ここで「普通は」と断ったのは意味がないことではない。つらい体験を語ることは、その人の気持ちを暗くし、絶望的な気持ちをよみがえらせる。治療場面でそのような状況に遭遇するのは治療者にも胸の痛む体験だ。そのようなセッションのあと何時間かはそのような気持ちを引きずるのではないか、と懸念する。おそらくそのようなことも例外的には起きるだろう。端的に言って、昔の記憶をたずねることで患者さんにフラッシュバックが起きたとしたら、それは治療者としては避けるべき事態であった、不適切な介入だったという可能性もある。
 しかし通常は、その話題から離れることで患者さんの表情も戻っていく。時間が経った記憶は基本的にはその深刻さを悪化させることはないのだ。ただしその記憶が形成された直後は事情が違う。
 ではいつまでがその「直後」と言えるのだろうか?おそらく定説はないのであろう。可能性としてはとりあえず二つある。一つは数日間。この期間は海馬がLTP
 Long-term potentiation,長期増強)という状態を経て長期記憶を形成するまでの期間で、それ以降は海馬はそれを大脳皮質の各場所に手渡して自分を消去してしまう。つまりこの期間以内なら、記憶はまだ海馬にとどまっている状態である。海馬とは面白い器官で、脳においては例外的に細胞が常に再生している。数日間で記憶を残した鋳型自体が消えていくのだ。以前にレコード盤の比喩を用いたが、トラウマを受けた直後のレコード盤は海馬の歯状核という部分に相当するのである。ここのレコード盤は少し変っていて、それがレコード針でなぞられることで(つまり「詳細な描写を求めることで」)その刻印が深くなっていくという構造になるのだろう。そしてそれが深ければ深いほど、数日以内に皮質に手渡す際の記憶の鮮明さや強度も高まると言うわけである。

役者が台詞を覚える時は、数日間にわたって台本を読み、何度も繰り返すことで、その刻印を深くし、記憶を脳にしっかり叩き込むのである。

2014年7月25日金曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)22

ただしこのようなことは言えないだろうか?自分は不満を表現した文章を書いた。これを相手に送ることで、すぐにでもその気持ちを伝えることが出来る、という認識。もちろんそれを送付しなければ意味はないが、それを外に出したことで、それに形を与え、客観的にみることが出来るようになったとは言えないだろうか。そしてそれはある意味では、記憶の再編という形をとったのである。ただしもちろんこの手紙を書くという手段が全く意味を持たない人も大勢いるであろうが。
しかしこうなると、記憶の再編はだれにとってどのような形をとるのが理想なのかは、かなり複雑ではっきり言ってランダムすぎることになるな。はっきり言ってマニュアル化できない世界。そういう世界での議論をしていることになるのだ。

再固定化とデブリーフィングの問題

この記憶の再編や再固定化のテーマとの関連で考えるべき問題がある。それは記憶の不安定化の状態が、その記憶の形成された時期との関係で大きく異なるであろうということだ。簡単に言えば、「トラウマの直後の記憶は、取扱注意!」ということになる。
 トラウマに関する治療が様々な形で行われる中で一つ浮かび上がったのが、デブリーフィングの問題だ。デブリーフィングとは、災害なので多くの人がトラウマを体験した際、被災者がなるべく早期にグループを持ち、トラウマの体験を言葉で分かち合うという試みである。ジェフ・ミッチェルという人により考案され、CISD (critical incident stress debriefing) と名づけられ、一時期盛んに試みられた。しかしそれが必ずしもPTSDの発症を減らすということはなく、かえって逆効果にもなりうることがわかった。現在ではトラウマが生じた際の介入には一定の時間の経過が必要であるということが常識になっている。(詳しくは日本トラウマティックストレス学会のHPを参照を参照されたい。)
 
ミッチェルの提唱したいわゆる「CISD」は、もちろんそれが善意のもとに実践されたわけであるが、その有害性が多く指摘されることとなったために、種々のガイドラインがそれを踏まえた記載の仕方をしている。米国の国立PTSDセンターが編集した「Psychological First Aide (PFA)」というガイドラインを見てみよう。これは「兵庫県こころのケアセンター」のスタッフが日本語に訳していて、ネットでも簡単に入手できる。http://www.j-hits.org/psychological/pdf/pfa_complete.pdf
これを読むと随所に被災者の「話を聞きすぎてはいけない」という注意事項が記載されている。つまり心のケアに出向いた人たちが行ないがちな「トラウマについて詳しく語ってもらう」というCISD的な発想への警鐘となっている。たとえば3ページ目の「避けるべき態度 Some Behaviors to Avoid」には7つの項目が挙げられているが、第5、第6項目(私が下線を付け加えてある)はそれに相当する。
1.被災者が体験したことや、いま体験していることを、思いこみで決めつけないでください。
2.災害にあった人すべてがトラウマを受けるとは考えないでください。
3.病理化しないでください。災害に遭った人々が経験したことを考慮すれば、ほとんどの急性反応は了解可能で、予想範囲内のものです。反応を「症状」と呼ばないでください。また、「診断」「病気」「病理」「障害」などの観点から話をしないでください。
4.被災者を弱者とみなし、恩着せがましい態度をとらないでください。あるいはかれらの孤立無援や弱さ、失敗、障害に焦点をあてないでください。それよりも、災害の最中に困っている人を助けるのに役立った行動や、現在他の人に貢献している行動に焦点をあててください。
5.すべての被災者が話をしたがっている、あるいは話をする必要があると考えないでください。しばしば、サポーティブで穏やかな態度でただそばにいることが、人々に安心感を与え、自分で対処できるという感覚を高めます。
6.何があったか尋ねて、詳細を語らせないでください。
7.憶測しないでください。あるいは不正確な情報を提供しないでください。被災者の質問に答えられないときには、事実から学ぶ姿勢で最善を尽くしてください。

さらに「情報を集める」(30ページ~)には、次のような二つの注意事項が織り込まれている。これも同様の趣旨と考えていいだろう。ここも注目していただきたい分について私が下線を施してある。
注意事項:災害でのトラウマ体験に関する情報を明確にしていくときに、詳細な描写を求めることは避けてください。(注:下線岡野)さらに苦痛を与えてしまう可能性があります。起こったことについて話しあうときには、被災者のペースで話を進めてください。トラウマや喪失の体験を詳しく話すよう、圧力をかけてはいけません。逆に、被災者が自らの体験について語りたがることもあります。そのようなときには、いまいちばん役に立つのは、あなたの現在のニーズを知り、今後のケアの計画をたてるのに必要な必要最小限の情報を得ることなのだということを、丁寧に、敬意をもって伝えてください。今後、もっと適切な場で体験を語る機会を設けられることを伝えましょう。
注意事項:次の項目で触れることですが、薬物使用に関する既往、過去のトラウマや喪失、精神的な問題を明らかにしていくときには、まず被災者の現在のニーズに敏感でなくてはなりません。必要もないのに過去のことを尋ねたり、詳細な描写を求めたりすることは避けてください。(注:下線岡野)なぜそれを尋ねるのか、理由を明確に述べましょう。たとえば、「こうした出来事は、以前あった嫌なことを思い出させることがあるのですが」とか、「ストレスに対処するためにアルコールを使う人は、こういう出来事のあとには酒量が増えることがあるので」というように前置きしてください。

このPFAに繰り返しでてくるのが、私が上に示した下線部分に示される次の表現である。
「詳細な描写を求めることは避けてください。」 
 なぜトラウマはそれが生じた直後にはむしろそれについて話すことが害になる可能性があるのだろうか? それはおそらく記憶の再編が、その記憶が形成されて直後とそれからしばらくたった後では大きく異なるからであろう。ここで思い切った仮説を設けるならば、あるトラウマ記憶は、直後にそれが語られることでそれの刻印のされ方をより顕著なものにする。例のレコードの比喩を用いるならば、レコード盤に最初の曲が刻印された際、それをすぐに再生するとそれが、さらに深い凹凸により刻印される傾向にあると考えるべきであろう。

2014年7月24日木曜日

「恥と自己愛トラウマ」その後(推敲)

 
最終的にこうなった

「恥と自己愛トラウマ」(岩崎学術出版社、2014年)の出版後、「自己愛トラウマ」という表現ないしは概念がこれをきっかけに広まったという話は、残念ながら聞かない。本来あまり一般受けするテーマとは言えないのかもしれないが、私は相変わらず続編の発表の可能性も見据えつつ、このテーマを追い続けている。
本書でも述べたとおり「自己愛トラウマ」とは、自己愛が傷つけられることにより生じる心的なトラウマのことである。発達障害に関連した事件、いじめ、モンスター化現象など、様々な社会的な問題にこの「自己愛トラウマ」が関連しているというのが本書の趣旨である。しかし改めて考え直すと、「自己愛トラウマ」は、トラウマとは言っても、かなり身勝手なそれである場合が多い。本人の自意識が強く、人からバカにされ、脱価値化されることへの恐れが大きいばかりに、普通の人だったら傷つかなくてもいいところで激しく傷ついてしまう。問題はそれが本人にとってはトラウマとして体験されるために、爆発的な反動を生み、それは怒りとなって確実に「あいまいな加害者」達に向かい、彼らはその濡れ衣を着せられてしまうことが多い。実に複雑で厄介な問題を生むのである。
私が本書で十分触れることが出来なかった問題が二つあるので、これを機会に記しておきたい。ひとつは加害者の存在はしばしばあいまいなだけでなく、時には被害者にすらなるということである。
 本書でもふれた「浅草通り魔殺人事件」を考えてみよう。「歩いていた短大生に、後ろから声をかけたらビックリした顔をしたのでカッとなって刺した」というのが犯人の言い分であった。この場合、犯人は確かに私が言う意味での「自己愛トラウマ」を受けたのだろう。そのトラウマを与えたのは短大生であり、犯人はその限りにおいては被害者ということになる。しかしこの事件の最大の犠牲者、被害者はこの短大生であることは言うまでもない。彼女を加害者と呼ぶことなど決してできない話である。
 それでは犯人の体験をトラウマと呼んではいけないのだろうか? 倫理的には「とんでもない、それは身勝手な話だ」ということになろう。しかし心理学的はこれをトラウマと扱うことで見えてくることがある。それは通常の、一般人が体験し、かつ理解可能な「自己愛トラウマ」と同じ種類の、しかし何倍も強烈なインパクトを犯人に与え、それが激しい攻撃性を相手に向けさせたという事実である。この、倫理的な理解とは切り離されたトラウマ理論は、しかし一部の発達障害における心の働き方や、場合によっては反社会的な人々の心の働きにも及ぶ可能性がある。その意味ではこのテーマを扱うことは、何か危険領域に論を進めているような不安を感じさせる作業でもあった。
本書でもう一つ十分に扱えなかったのは、勝手に「自己愛トラウマ」の犠牲者になってしまい、他人に迷惑をかけるような困った人、すなわちおそらく一般的な意味での「自己愛パーソナリティ障害」に該当する人たちについてである。彼らのことをここでは「ナルな人たち」と呼ぶことにしよう。
考えてみると「ナルな人たち」はこの世のいたるところにあふれている。政治家、弁護士、会社社長、医者、大学教授、教師・・・・一般に「先生」と呼ばれるような立場にある人たちの大半は「ナルな人たち」であり、彼らは周囲の言葉遣いや態度に極めて敏感である。年功による序列や身分の違いにうるさい日本社会では、特にそのような人々がはびこっているようである。ところがそれらの若い頃の様子を聞いてみると、案外周囲とは協調性があり、少なくとも目上の人には謙虚で従順ですらあったりする。人は地位や名誉を獲得すると、どうやって「ナルな人たち」に代わっていくのだろうか?彼らの若いころの性格に、ある共通した特徴は見いだせないであろうか? 
ある時自己愛についての講演をしていて、この問題について触れて聴衆の方からの質問に答えているうちに一つのアイデアが浮かんだ。「『ナルな人たち』とは、要するに、『人により態度を変える人たち』のことではないか?」彼らはおそらく幼小児より相手の顔色を伺い、自分より強い立場の人間には従順で時には媚を売り、弱い立場の人間には居丈高に振る舞うという習性を身に付けた人たちなのであろう。あるいはそのような習性を獲得することに甘んじた人、というべきかもしれない。
 思えば
人によって態度を変えるということは、競争社会で生き残るためにはある程度は必要なことではある。社会の中で自らの地位を築くには、強い人に嫌われないことは大切なことだ。自分より弱い立場の人にサービスをしたからといって直接の利得は少ないだろう。とすれば人により態度を変えない人など、そもそも居るのだろうか? そんな人こそ聖人君主であり、めったに出会うことなどできないのではないだろうか?そんな考えすら浮かぶ。
 しかしここで重要なのは、人により態度を変えることには、すでに自己愛の満足が入り込んでいるという点なのである。弱い立場の人に対して居丈高であることには、何らかの心地よさが伴っているはずだからだ。そしてそれは同時に「自己愛トラウマ」とは別種のトラウマを、たとえばパワハラのような形で相手に与えてしまう。すると「ナルな人たち」はやはり病理として理解するべきであろう。すると彼らの予備軍ともいうべき「人により態度を変える」子供たちへの処方箋は何だろうか? 道徳教育なのだろうか? しかしそれを教育する資格のある人を選別することなどできるだろうか・・・・。
 自己愛に関する私の考えはこのように日々続けられ、場合によっては修正され、更新されていく。時には実体験を通して。あるいはクライエントの話を聞きながら。またそのうち本になるかもしれない(売れ行きは別として!)
 おもえば考えをまとめて一冊の本を書くということは気の遠くなる作業である。しかしそれに一定期間付き合うことでさらなるテーマが見えてくることがある。それはおそらく長編作を書き継ぐ作家の心理にも近いのかもしれない。私は長編作家ではないが、私の「書く」作業には一種のライフワークのような性質があるように感じることがある。




2014年7月23日水曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)21

しかし、話を聞いてくれる相手から特に「気休め」も得られない場合はどうか?相手は黙って聞いているだけであり、そこから新たな考えは与えられないとしても、それでも人は心の痛みを和らげることがある。ではその場合の記憶の再固定化はどのように成立するのだろうか?これにはいろいろな可能性があるが、その一つは、そのことを話した時に、目の前の人が自分の気持ちに同一化してくれるという体験ではないだろうか?
 トラウマ的な体験をした後、私たちの心は奇妙な状態に置かれることがある。それはそれを恐怖を持って体験した自分が異常であり、自分がされたことは当たり前であるという心境である。あるいはこれを恐ろしいと感じているのは自分ひとりであり、その意味で自分は徹底して孤独である、という心境かもしれない。その場合はおそらく一人で壁に向かってその体験を語ったところで、そこに再固定化が起きるはずはない。ところが目の前に、自分を理解してくれる人が存在し、自分に共感してくれるという体験が生じると、それがミスマッチとなり、記憶を不安定化し、再固定を促す。あるいは、自分は一人ではない、ということだけでもミスマッチを起こし、再固定を促すかもしれない。
 でもどうだろう。自分のトラウマ的な体験を話しても、誰もわかってくれず、自分はその体験に関しては徹底して孤独なのだという気持ちを悪化させるにすぎなかったとしたら。それは再固定をもたらさないか、あるいはよりトラウマが深刻化するという形で再固定を促すかもしれない。
 性的外傷体験を持った人がそれを警察で話すことにより、再外傷体験を生むという場合がある。(いわゆる「セカンドレイプ」という表現もある。)話しても誰も理解してくれない体験は、そのような場合に相当するかもしれない。あるいは私がいつかどこかに書いた、あるプロ棋士の話を思い出していただきたい。その棋士は将棋の試合に負けるとまっすぐ帰って一人で布団をかぶって号泣して乗り切るという。その場合には人に話すことがいい意味での再固定化につながらないという体験を持っているのであろう。その場合「この体験を分かってもらえていないだろうな」あるいは「いい気味と思っているのかもしれないな」と感じることでむしろトラウマが深刻になるということが起きるのであろう。
それでは次のような場合はどうか。ある患者はレストランで店員に失礼な態度をとられたといって憤慨し、便箋に10枚にわたって抗議文を欠いた。それを翌日店長に渡すつもりだったが、書いた後はすっきりして、「もうどうでもよくなってしまった」という。いったい彼女には何が起きたのだろうか?
実はこれはうちの神さんに20年前に起きたことだが、これも記憶の改編の例として考えるべきであろうが、一体脳の中で何が起きているのかは神のみぞ知る、としか言いようがないのではないか?



2014年7月22日火曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)20



昨日こんな夢を見た。気象庁の偉い方々が話し合っている。
「まあ、そろそろいいんじゃないですか。」「数日前から天気図に梅雨前線は消えてますしね。」「時期的にもそろそろ、ですからね。」「何しろ近畿まで出しちゃいましたからね。」「でもまた気圧配置が変わるかもしれませんよ。関東甲信越は、もう2,3日待ちませんか?」「あなたは去年もそんなことを言っていましたよね。モドリヅユ。困ったときはそれでいいじゃないですか…。ものはいいようですよ。」「しかし毎年相変わらず全然科学的な根拠がないですね。梅雨明け宣言って。」「国民もうすうすそれには気がついでいますよ。でも誰かに宣言してほしいんです。するとしたら私たちしかいないでしょう。」「そうですね。『今でしょ!』」


記憶の改編や再固定化について改めて考えてみる

以上で、本書(Bruce Eckerら著、Unlocking the Emotional Brain. Routledge; 2012.)の少し長い紹介は終わりである。これをもう少し私自身にとって用いることが可能と思われるような手法として整えることを試みたい。
まず記憶の再固定化ということについて、改めて考えてみるが、まず強調しておきたいことがある。それは記憶が改編されるプロセスは、紹介した Coherence Therapy のようなある特殊な治療状況でないと生じないのではない、ということである。記憶の改編自体は日常生活でも起きている可能性があるだけでなく、私たちはその原理をおそらくは知らず知らずに応用しながら、つらい体験を乗り切っているのである。(ちなみにここで「記憶の改編」、という言い方をして、「再固定化」と限定していないのは、これまでの例で見た再固定化とは、ある程度長期的に保存されている記憶についてのみ扱っているからである。まだ新しい記憶が以下のような例で痛みを減ずるときは、再固定化とは異なるプロセスが生じている可能性があり、ここではそれに対して記憶の改再編、という言い方をしておく。)
 ある苦痛な体験をした後、私たちは多くの場合、それを誰かに話したくなる。胸の内を誰かに話して、すっきりしたいと思う。その時は、「この話をあの人に聞いてもらえれば、きっとすっきりするに違いない」という予想を立てている。おそらく過去にも似た体験があり、その人に話すことで苦しみがある程度は解消するということが学習されているのだろう。時にはその話し相手は唯一の信頼できる友人であろうし、別の場合には、客観的な立場にあり秘密を守ってくれるようなカウンセラーだったりする。あるいはとりあえず身の回りにいて、手っ取り早く話を聞いてくれる誰でもいいのかもしれない。しかしとりあえずは誰かの前で自分の体験を話そうとするだろう。
 もちろん人に話さないことを選ぶ場合もあろう。そのような人の場合には脳内で別のことが生じていると考えて除外し、とりあえず人に話すことで落ち着く人々、つまり私たちの多くについて考えたい。
 結論から言えば、人に話すという行為により、その機序はよくわからないまでも、記憶の改編が起こり、その在り方が変わる可能性が高いということだ。あるつらい体験、ここではたとえば受験に失敗した、という例を考えることにするが、その体験が人に話すことで少し楽に扱えるようになった場合を考える。それらの記憶は確かに、話す前ほどは痛みをもって感じられなくなるのである。
 ここで少なくとも一つ言えることは、これは忘却とは無縁の出来事であるということだ。忘却とは時間の経過とともに記憶を形成する神経ネットワークのシナプスの結びつきが低下し、あるいは一部が消失していくことだ。受験に失敗したというつらい記憶は、例えば半年後にはかなり軽減していることになるだろうが、その場合にはこの忘却が大きく影響していることになる。しかし人に話すことは、むしろその体験を言語的に再構成することで、シナプス間の結びつきを強めることにすらなるだろう。
ということは受験の失敗を話す過程で、「あの人の一言により救われた、楽になれた」というエピソードを聞くことがあるが、それまで持てなかった発想をその人から与えられ、ある種のニューロンのつながりが形成されることになったとしたら、それはその記憶が再編されたとみていい。たとえば「でもその受験はダメもとだ、とこの間までは言っていましたよね」と言われ、そもそもしばらく前までは失敗しても当然という覚悟を持っていたことを想起して、その受験の失敗の記憶が、「でももともと受かる気がしていなかったのだ」という認識と結びつくことで、より受け入れやすくなったのかもしれないのだ。
本来他人につらい体験を話すとき、その他人は様々な慰めの言葉のレパートリーを持っている。相談を持ち掛けられた方も、少しでも役に立とうとさまざまなことを言うだろう。先ほどの「ダメもとだったと考えればいい」以外にも、「人生、まだやり直しがきくさ」でも「いいことばかりではないよ。」でも「運は後に取っておけばいいだろう」でもいい。実はそれらのほとんどは気休めにしか過ぎないが、そのうちのどれかが本人にとってヒットするかもしれない。すると「あの一言で楽になった」という印象とともに失敗の記憶が別の色を放つようになるのである。

2014年7月21日月曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)19

 さて本書の最後のケース、エマの症例(186ページ)についても簡単に触れよう。
エマは車椅子の40代後半の女性で、近所の人に盗聴されているという訴えとともにやって来た。その訴えの割には彼女は平然として落ち着いているのが特徴だった。その発症年齢の点でも、それ以外はまとまった思考の点でも、統合失調症とは考えられなかった。エマは12年前の36歳の頃、誤って階段から落ちて脊髄を損傷した。それまでは看護師であるとともに、様々なスポーツを楽しむ女性であったという。
 事故からしばらくしてエマはMS(多発性硬化症)の症状も出るようになった。それから両親のもとに戻った45歳の頃に、エマは二度目の事故に遭った。ゴミ捨てをしている間に車いすが横倒しになり、脊髄損傷を悪化させ、さらに体の動きが制限されてしまうことになった。そして2年前から幻聴が始まったのだ。それは彼女が「不具で役立たずで社会に迷惑をかけてばっかりいる」と罵る声であったという。そしてその声が言うには「お前さえその気になりさえすれば、立ち上がって歩くこともできるんだ!」というのだそうだ。そしてその声が朝も夜も聞こえるために、自分は見張られ、盗聴されているに違いないと感じ、それで冒頭の被害妄想となったのである。
セラピストがEMDRを交えて二度目の事故について振り返っている時、エマは突然「こんな車椅子の生活はまっぴらよ!」と怒りをぶちまけたが、それはその時までは幻聴の形で限定されていた彼女の激しい感情であった。それからエマは事故の事ではなく、それまで封印していた様々な感情を語るようになったという。「人に助けを求めるなんて、私はなんて自己中心的なんだろう!」「自分は父親を十分にケアするべきだ。」(彼女は母親を最近亡くしていたが、その後は父親も抑うつ的になっていた。)そして他人の世話をすることだけが自分の価値を表し、たとえ半身不随になっていても、それを理由にして他人を世話できない自分はどうしようもない人間だ、と思うのだという。更に彼女は「自分は他人を世話した分だけしか他人から世話を受ける資格がない」という思考を持っていたことがわかった。そうしてこれらの思考が明らかになっただけでも、エマの主観的な苦しさはだいぶ弱まったという。そこでセラピストはインデックスカードに次のように書くよう、エマに伝えた。
「私は他人の援助が欲しい、しかしそうするべきではない。なぜなら私が自分の障害のために人を助けることが出来ないことを嫌悪するのと同じくらいに、他人は自分を嫌悪するであろうからだ。」
治療者はこう理解したという。「エマは自己非難をすることが自分にとって極めて重要で、深い絶望と見捨てられに対する防衛の役割を果たしていた。自己を責めることで、エマは自分に起きたことをコントロールできるという錯覚が与えられ、それにより自分の障害と戦い続けることを可能にしているのだ。」
 エマは次のセッションにやってきて、自己非難についての理解を深めるにつれて、「自分は他人を世話できないから他人から受ける資格がない」という思考がより鮮明になったという。そしてそのことは実は一般の人には当てはまらないのではないかと考えるに至ったという。
そこでセラピストはエマの症状除去の状態を導いてみた。つまり「あなたが自分を責めることなく、抑うつ的でもなくなったらどうなるかを想像してみてください。」するとエマは「そんなことは想像できません。想像することにさえ抵抗があります。」という。そこでセラピストは、ジェンドリンのフェルトセンスを用いて、ではその時どのような体感があるかを説明してください、といった。
 結局セラピストはインデックスカードに次のように書いて、エマに読むように言った。
「私は抑うつを手放したくありません。私は自分を世話することができないし、幸福になれる資格がないからです。」
エマはそれを読んでから笑ったが、それは治療が始まって初めて見た彼女の笑顔だった。
それからインデックスカードに書かれる文章は次のように推移した。「私がもし自分や他人を世話できなかったら、私は自分が人間でない気がし、すると抑うつは避けられない。」
「私は自分にできることはすべてやりたい。しかしすると人は皆私がもっとできると思うだろう。すると助けを求めることなどできないし、そうすることは恐ろしいし鬱になってしまいそうだ。だから私は逃げて何もしなくとも、そのままの方がいい。」
この最後のカードを読んでいるうちにエマは次のことに気が付いたという。「本当は一番問題なのは、他人がどう見ているかではなく、自分が自分をどう見ているか、なのだ。自分が自分をどう見ているかが、他人に投影されているだけだったのだ。」このころになるともはや幻聴も消えていて、彼女のうつ状態もだいぶ和らいできたという。
 しかしここまでよくなってきた症状は、父親の健康状態が悪化することでまた再燃し、治療は振り出しに戻る形になったという。
 この二回目の治療の最大の障害と考えられたのは、彼女が幻聴の主が自分であるということをなかなか認められないことであった。
セラピストはエマに、「ためしに幻聴に同意してみてはどうでしょう? ちょっとした実験だと考えて。」と提案してみた。つまり幻聴が「お前はどうせ障害があるふりをしているだけなんだろう?」と言ってきた時に、次のように言ってみるのである。「そうよ、私は本当は歩けるわ。ただ歩けないようなふりをしているだけなのよ。あなたの言う通りよ。」といってみるのだ。そして幻聴があらゆる罵詈雑言を言ってきたら、それについてすべて同意する。このことをエマに提案すると、彼女は半信半疑ながら了解した。
 次の週にエマはやってきて報告した。「やってみたわ。そしたら、幻聴が黙ってしまったの。」このことでセラピストがわかったのは、幻聴は単に自分を責める気持ちの所有権を放棄することでそれが外在化されただけであったことだという。エマはさらに報告した。「実に不思議なのだけど、幻聴に向かって『私は歩けるわ』と言ったとき、何かすごくリアリティを感じたの。」
 そしてさらに次のセッションに現れたエマは言った。「私の中のある部分は、歩けないと言うことを認めようとしていないということを発見したの。」つまり彼女の心は幾層もの部分からなっていて、一部は歩けないことを自覚し、他の部分は歩けるけれど歩けないふりをしていると信じていたのだ。どうしてそうすることが必要だったのか?そのことを検討したうえで彼女がセッションの最後にカードに書いたのは次の内容だった。
「私は自分が歩けるんだと信じる必要がある。なぜなら歩けないとしたらそれはすべて自分のせいであり、そうだとすると私はそれには耐えられないから。だからあらゆる医学的な検査の結果にもかかわらず、私はまだ歩けると思うし、そうできない自分を非難するのだ。」
こうしてエマの幻聴は消褪していき、治療も終結に向かった。最後の日が近づいたある日、エマはある、まだ誰にも話したことがないという記憶について語った。彼女が幼少時に椎間板ヘルニアになったとのことである。それは幼少の子供にはとても珍しい病気であったが、そのうえさらにエマは同時に多発性硬化症の診断も受けたのだ。しかし子供だったエマは苦痛を一切表現することを母親から禁止された。苦しいと表現することは弱さの証明であり、エマは「母親の為に強くなくてはいけなかった」のである。こうして家族の中で生きていくためには否認が必要とわかったのだ。治療者がどうしてこの話をこれまでしなかったのかを問うと、エマは「だってすごく恥ずかしかったんですもの」と答えた。つまり彼女が家にいるときは、母親の強い教え、すなわち「病気を持ち苦しいということを認めることは負けを意味している」という考えに支配され続けたのだ。




2014年7月20日日曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)18

症例デビー(181ページ)
60歳の独身女性デビーは、体重が320ポンドあるという。(キロに直すと150キロほどか。相当の体格ということになる)。彼女は胃のバイパス手術を受ける前に心理士のところにその妥当性のアセスメントに回されてきたという。しかしこの手術を受けるためには、デビーは体重を10パーセントほど落とさなくてはならないとも言われたという。
 デビーの肥満歴は長く、すでに幼少時からそうであったという。彼女はこれまであらゆる治療を行い、結局成功したことがなかった。カウンセラーは尋ねた。「あなたはアセスメントのためにいらしたわけですが、治療もお考えですか?」それに対してデビーはハナで笑う態度を示した。「治療ですって?私が最初のダイエットをしたのはあなたが生まれる前のころよ。それから何度試みては失敗したかわからないわ。どうせあなたも私に対しては何も出来ないわよ。」それを聞いて、カウンセラーは圧倒される思いだった。
 実際デビーは過去に何度もダイエットを試み、著しい体重減少に成功しても、そのあとそれよりも早くリバウンドを繰り返していた。彼女は脂分を含むもの、甘いものをこの上なく好み、それを始終食べることにこの上ない至福を感じていると言った。
 さてこの先、割と予想がつく展開になる。が、ともかくも先に進もう。まずカウンセラーはコヒアレンスセラピーのテクニックの一つである symptom deprivation を行なった。つまり症状を取り去ってどうなるかを想像してもらう。するとデビーは「あらどうしよう、私がどんどんやせていくと・・・・目立っちゃうわ」と言った。

少し早送りすると、デビーは幼少時の思い出を話し、ごく小さいころ、彼女はやせていて非常に可愛く、そのために6歳のころおじとその友達に「誤った関心」をもたれてしまい、性的虐待を受けたという。そのころから猛烈に食べ始め、太ると彼らは彼女を彫っておいてくれるということを発見したという。そのころからデビーは常に太っていて、「私が太っている限り、弾性は私のことを相手にしなくて、私は安全だわ」と思うようになったというのだ。
 そこでカウンセラーはインデックスカードに書いてもらった。「私は体重を減らしたくなんかない。私がやせたら、男性たちは私に振り向き、危険だからだ。もし体重を減らしたらひざへの負担や腰の痛みは減るでしょう。でも私は太っているほうが大事です。」
これを一日数回読んでもらって2週間経ち、デビーは再びカウンセラーのもとにやってきた。「不思議です。私は小さいころ性的虐待を受けたことについては、個人療法でもグループでも話していました。でもそれと肥満との関係があることなど一度も考えたことはなかったんです。」そして彼女は、この10日間ほどは、正しいダイエットプランにしたがって、23ポンド体重を落としたという。そのうちデビーはカードを読みながら、違和感を覚えるようになった。「このカードに書かれていたことは、もう60歳の私には当てはまらないんじゃないかしら。私はもう体重を落としても、男性の関心を集めるということはないのではないかしら?」
これがいわばミスマッチの役目を果たすようになった。カードには「私はやせたとしても男性の関心を引くことはあまりない」が付け加えられた。こうして彼女は徐々にではあるが体重を減らすことに成功して、バイパス手術を必要としなくなったという。教訓としては、いくら慢性の肥満を抱えている人でも、コヒアレンスセラピーは有効である、と書かれている。
ウ~ン、というケースだ。ありかなあ?こんなにうまく行くのかしら?


2014年7月19日土曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)17

次のクリフ(168ページ)のケースはわかり辛かったが、臨床的には出会うタイプのケースなので、わかった分だけ紹介する。
 クリフは40代前半の男性で、結婚して二人の幼い娘がいる。奥さんはキャリアーウーマンで、クリフが稼いでいた給料の5倍は稼ぐというので、彼は結婚してからは主夫業に専念している。朝は早起きをし、二人の娘を送り出し、掃除洗濯をし、午後は夕食のための買い出しをし、学校から戻った娘たちの宿題を手伝って、やがて至福の時間が訪れる。夕方6時を過ぎると妻が帰宅し、家事をタッチ交代してくれる。そこで6時からはクリフの「ドリンキングタイム」となる。妻の帰りを待ちながら、彼は一人の世界に入り込み、寝るまでの時間を満喫するのだ。
 自宅に帰った妻はそのようなクリフに距離を置き、話しかけない。というより既に彼の方から「話すなオーラ」が出ている。そこで妻はそんなクリフの機嫌を伺い、むしろあまりかかわらないようにしている。ともかくも家事全般をしっかりこなしてくれるので、それ以上は要求しないのだ。
 こうしてクリフは過去数年も酒を毎晩飲み続け、肝臓を壊してTRPの受診となったのだ。しかし治療者がいろいろ手を施しても彼のアルコールの量は一向に変わらない。一日10杯のバーボンというペースを変えようとしないのである。
 そこで治療者は彼にイメージ療法を施した。そして家の中で夕方6時になりリラックスした際に、肝心のアルコールを切らして飲めない状態になったことを想像してもらった。そしてジェンドリンのフェルトセンスのテクニックを使用し、その時の体感を伝えてもらう。するとおなかの中に塊が感じられるようになった。治療者はその場所や色まで想像してもらう。すると真っ赤な熱い塊ということになった。そこで治療者はさらにその塊に「しゃべって」もらうよう促す。すると「何もいうな」という声がする。やがて彼が小さいころ母親の前にいて、同じことを考えていたことを思い出す。(ちなみにここら辺のプロセスは相当の数のセッションを経ているが、非常に簡略化してここにまとめてある。)
その後に結局話は幼児期にさかのぼり、彼は小さいころ学校で非常にみじめな時間を過ごしていたという話になる。勉強は苦手でスポーツもダメ、女の子にももてない。とにかく学校ではまったく価値のない人間と感じていたのだ。しかし母親は家に戻ったクリフに学校でのことを聞きたがる。そこでクリフは黙ってしまって、親をヤキモキさせる。そのうちそれが彼の唯一コントロールできること、ということになった。母親に対して口をきかないということが彼女を操作し、クリフに優越感を起こさせる。そこにひそかな喜びを見出すようになった。そしてそれが現在の状態でも起きていたということになる。彼は妻に食べさせてもらい、主夫をし、しかし飲んだくれで体を壊し、それでも結局は酒を止めない。それが唯一の彼にとってできる自己愛を守る方法だったのだ。
さてこの後の臨床記述は、どのような治療者のかかわりがミスマッチを起こさせていたかが明確にはわからないようになっている。ただしこの治療者の立場が非常にパラドキシカルであり、苦労に満ちたものであったことは想像できる。なぜならクリフのアルコール中毒を治そうという努力は、彼の力を奪うことになってしまうからだ。そこで治療者は「治そうとしないことで治そうとする」独特のスタンスをとることになる・・・・・。

まあこんなところか。しかし書いていて思ったことがある。禅問答にしても森田療法の恐怖突入にしても、ロゴセラピーの逆説志向にしてもなにかTRPのミスマッチに似た体験を作り出しているのではないか?


2014年7月18日金曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)16

今日の分は、去年の前回の文章を直すことはほとんどなかった。
もう一つ、ジョンというケースを紹介する(p.159)。
ジョンは40代の男性で、一娘の父親である。数年前にその一人娘が足を失なったことを非常に悔やむ毎日であるという。娘はある時髄膜炎になり、その時に出来た血栓が足の血管に飛んで詰まったのが原因で、片足の膝の下から壊死状態になり、それを切断しなくてはならなくなったのである。ジョンは、父親として、娘の髄膜炎の最初の微妙な兆候を発見できなかったことを悔やみ、自分を責めてばかりいた。その為に抑うつ的になり、不眠や怒りの爆発も起きるようになっていた。
 TRPによる治療は数回行われたが、最初の頃のセッションで治療者は、ジョンが自分を責めることは、それを責めないことからくる苦痛を回避するための手段であることを見出した。治療者はインデックスカードに書いてもらった。「私の娘に対する罪は深く、自分を責めるのは地獄のようだが、自分を責めるのをやめてしまうのは、さらに辛いことである。自分は生きる価値のない人間である。」

更に検討を続けて行くと、ジョンの「少しでも努力を怠ってミスをすると自分は全くダメな人間であることの証明となる」という思考が明らかになる。この思考こそがジョンを人生のあらゆる場面で苦しめていたのだ。そして娘の足を失った記憶を振り返ることを重ねていくと、ある時突然「いくら頑張っても、不幸なことは起きてしまうんだ!」という言葉が生まれた。この「努力をしてもダメなときはダメ」、という考えは、ジョンが心のどこかに以前から持っていた考えであり、それが「努力をすれば必ず過ちを防げる」というメッセージに覆い隠されていたのだった。
 治療によりこの「過ちは努力が足りないからだ!」の由来をさかのぼると、それは結局はジョンの父親が幼少時からジョンに何度も言っていたことに関係していることがわかった。ジョンが高校生の頃、フットボールで骨折した際も、「それはタックルの仕方が間違っていたからだ。正しいタックルの仕方をしたら骨折はあり得ない」と父親に叱られたという。しかし彼の心の別のところでは、「頑張っても理不尽なことが起きる」という確信があったのだ。こちらの方を十分体感してもらったうえで、それをインデックスカードに書いてもらう。「努力をしたって自分がコントロールできないことはいくらでもある。」ただし表に「自分は失敗をして娘の足を奪ってしまい、生きる価値がない。」という言葉が書いてあるカードの裏に、である。それを裏返して交互に読んでもらうことが、TRPの体験になり、宿題として課された。これによりジョンの症状は回復したとある。

2014年7月17日木曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)15

本書においては、精神療法のさまざまな形態において、コヒアレント・セラピーの中のTRP(治療的再固定化のプロセスtherapeutic reconsolidation process)に相当するプロセスが事実上組み込まれているという主張が行なわれる。つまり記憶の再固定化がそこに生じており、それが有効に生じる為の記憶の不安定化とミスマッチという現象が起きていると言うわけである。これはある意味では非常に野心的でかつ重要な主張といえるだろう。
 ところで著者たちの主張は、再固定化のプロセスは、実は多くの治療手段の中に存在し、例えば EMDRはその例であるとする。しかし私の印象では、どうもちょっと違う気がする。たとえば EMDRを施行される方の場合にはお分かりと思うが、まず患者にトラウマ性の記憶をイメージしてもらい、EMDRを施した後、深呼吸をするというステップを踏む。そこに特別その記憶にミスマッチのある記憶や思考の探索に移るということはしない。もしその部分を組み込むとしたら、それはやはりTRP流のEMDRというべきであろう。だからEMDRの中にTRPがすでにビルトインされている、という著者たちの主張は、むしろ逆という気がする。
続いて次の例に進もう。

Cという女性のケース(P150)。
C
さんは人生の中で誰かと親密な関係になろうとすると、すぐ怖くなってしまい、その関係から身を引いてしまうということを何度も繰り返している。イメージ療法を施すと、母親に精神的に威圧されていたという子供時代の記憶がよみがえってきた。しかし母親との記憶をいくら探っても何もCさんの関係性の問題に変化は見られなかった。そのうち両親が相互に相手から距離を置いてしまう一種のダンスを踊っているのがイメージされた。すると、親密さから身を引く衝動が同時にCさんの体に感じられた。そこでそのイメージに集中してもらい、イメージの中の両親に、お互いに距離を遠ざける理由を聞いてみた。するとまず反応を見せたのは父親のほうだった。Cさんがイメージの中で父親に、「自分たちはそばにずっと居続けるよ」と伝えると、やがて彼女は父親が自分の抑うつ的な母親を失うことの恐ろしさを体感した。ここからは引用。「私たちは理解と勇気づけと継続的なつながりを与えた。それらは彼[父親]の幼児期には欠如していたものであり、それゆえに確信を揺るがす体験discomfirming experiences となった。Cさんの体の中で、彼の感情のテンションが和らぐことが体験された。」
次に母親についても同様の試みを行ったという。しかしこちらの方は心の傷つきははるかに複雑で、父親の緊張が和らぐのに比べてはるかにたくさんの準備的な作業が必要であった。ゆっくり注意深く、そして安全な抱える環境を提供し続けると、Cさんの心の中の父親が、治療者と母親との作業を見つめていることに気が付いた。彼はそこから距離をとることなく、その作業を興味深く見つめていた。そのうちCさんのイメージの中の両親は以前よりはるかに親密に関係を持つことができるようになった。この作業を続けていくことで、Cさん自身も親密な関係を持てるようになった。
非常に簡略化したが、以上が治療の流れとなる。もちろんこのプロセスが一日で終わったわけでは決してなく、何セッションも同様の治療が行われたわけである。しかし私にはやはりどこかに、「本当かいな?」という気持ちがわくことも否定できない。話ができすぎ、という気がするのだ。


2014年7月16日水曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)14

今日の気象庁発表の天気図を見ると、梅雨明けっぽいなあ。でもしばらく様子を見るのかしら。前線がまた降りてきたりして。

次のケースBは面白い。
Bさんは20代後半の女性で、パニック発作を抱えている。特に閉所恐怖が酷い。車に乗っていて渋滞になると捕まると「まずい、自分は今ここから抜けられない!」と思うと、胸のあたりがざわざわしてくる。そして深刻な発作が起きて来て、息が出来ずに気を失いそうになるという。セラピストは話をきながら、「なるほど、ではちょっとイメージトレーニングのようなものをやってみましょう。」という。(どうやら本書に出てくるどの症例にも共通しているのがこの部分だ。)
治療者:この間体験したパニック発作を思い出してください。今どこにいますか?
B
さん:高速道路です。渋滞につかまってしまいました。
治療者:状況をもう少し説明してください。
B
さん:隣のA市から帰る途中です。夫が運転していて私は助手席にいます。
治療者:なるほど。いいですよ。それでどうしましたか?
B
さん:私は「外の新鮮な空気が吸いたい。」と夫に言います。夫は「またか」といった感じで私にこう言います。「またキミの病気か。気のせいだってことがわからないのかい?何か楽しいことでも考えろよ」と言います。私は結局夫の理解が得られないで、苦しいままで耐えるしかありません。
治療者:そうですか。では想像を膨らませて、そこから少し強気になり、大胆になったあなたを想像してください。普段なら言わないことも、しないこともしてみます。
B
さん:どうしようかしら…。そうですね、夫にこんな風に言います。「あなたは本当に私の苦しさがわかってくれないのね。いつも気のせい、気のせいって…・」
治療者:ご主人の反応は?
B
さん:何か、きょとんとしています。私がそんな言い方をしたことがないからだと思います。
治療者:その調子です。続けてください。
B
さん:とにかく私は外の空気を吸うから、といいます。すると旦那は少し切れたようで、「そんなバカのことできるわけないだろう。ここは高速道路だぞ。警察が来るぞ。」と言っています。
治療者:それでどうしますか?
B
さん:私は死にそうなのよ。この際警察もなにも関係ないわ。
治療者:あれ、大胆ですね。ふんふん、それで?
B
さん:構わずにドアを開けました。車は延々とつながっているのが見えます。高速道路に自分の足で立っているなんて、変な感じです。でも案外いい景色です。
治療者:呼吸の苦しさはどうですか?
B
さん:そうですね。少しいいようです。歩いてみようかしら。
治療者:旦那さんはどうです?
B
さん:なんかうるさく騒いでいます。だからドアを閉めちゃいました。何かそれでも中でギャーギャー言っています。
治療者:どんな気持ちですか?
B
さん:割とすっきりしています。少し歩いてみます。向こうの方で警官の姿が見えました。私に気が付いたようです。でもいいんです。もう少しここら辺を歩き回ってみます。
治療者:どんな気持ちですか?
B
さん:へえ、こんな感じなんだ、と驚きます。旦那の言うことをいつもく必要はないんだ、と思いました。
この種のセッションを何度か続けることで、Bさんは車の中でパニックに陥ることが劇的に減ったという。

私がずいぶん脚色したので、本書に載っている実際の例とはずいぶん違ってしまったが、雰囲気は伝わったかもしれない。つまりこの例では閉じ込められた状態で「まずい、ここから抜け出せない」という状況でパニック発作を起こしていたBさんが頭の中でそれとは逆の体験をすることで、「再固定化」を引き起こすことができたという例である。


2014年7月15日火曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)13


さらに次に出てくるTさんの話も紹介しよう。

30代前半の男性であるTさんは、仕事をしても続かず、ガールフレンドが出来ても二月と続かずにすぐに愛想をつかされてしまうという。「自分はどうせ何をやってもダメなんです。」と自暴自棄なことを言う。面接では色々聞いて行くうちにまたもや父親の話が出てきた。彼の父親は さんを小さい頃から一度も褒めたことがなく、愛情のかけらも注いでくれなかったという。「私が人生で上手く行ってしまえば困るんです。父親が私をちゃんと育てたことになりますからね。」治療者はTさんに言って見る。「目の前にお父さんを思い浮かべて下さい。そして『父さん、僕は仕事がうまく行っていて、今度サラリーをあげてもらうことになりましたよ』って言って御覧なさい。」
それを聞いて さんは「すごく嫌な感じがします。というより緊張します。そんなことは言えませんよ。彼が父親としてうまく育ててくれたことを示すことになっちゃいます。」という。治療者は「ということは、あなたがいかにダメ人間かを示すことで、自分がいかに育て方を間違っていたかを理解させたいというわけですね。」 さん:「ふーん、そういうわけか。」 ここで治療者は大事なことを指摘する。「でも さん。あなたはお父さんに期待しているというわけだ。あなたがいかにダメ人間になったかを示すことで、お父さんは心から反省し改心して『俺はダメな父親だった。済まなかったね。』とあなたに謝るということを、あなたは期待しているんでしょう?」そこで さんは意外そうな顔をする。
結局セラピストは さんに次のようなセンテンスを言ってもらうことになった。「私の父は自分の過ちを正直に認めて謝るような人です。」それを言った後Tさんは言った。「アリエネー!!」(原文は Fuck!!!)

治療ではこの「父親はろくでなしだ」という言葉と「父は正直ものだ」という言葉のミスマッチが、そしてそれが隣同士に置かれていること juxtaposition が治療の決め手となる。つまりろくでなしの父親、という頭にしみついた思考がいったんグラグラになり、別のものになって再固定化するというプロセスが可能になるというのだ。
この例は一つの臨床例として示されているわけであるが、記憶の再固定化というテーマと少し齟齬がある気がする。ある外傷的な体験が昔あり、それを思い出すたびにフラッシュバックに近い情緒的な体験がある、という症例ではなさそうだ。むしろ認知療法的なアプローチと言った方がいいかもしれない。

2014年7月14日月曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)12

次に現れるシャーロット(仮名)の例。

シャーロットは37歳の女性で、ナイナという女性のパートナーと8年連れ添ったが、最近別れてしまったという。しかしそのつらさに耐えられずに、元のパートナーに電話をしては泣き崩れるということが何度も続いているそうだ。彼女は過剰にかかわってくる母親と、酒飲みで拒絶的な父親のもとに育ったが、両親は彼女が12歳のころに離婚してしまったという。シャーロットは「私のナイナとの関係は、『根源的な結びつき』だったのよ。ちょうど子宮の中で母親と一体となっているようにね。」という。セラピストは「私と彼女が分かれると if I let this end・・・・」と言い、そのあとを埋めてもらった。シャーロットは「私と彼女と別れると、私は自分を失うわ I lose me」といった後、その意味が分からないといった。「私は彼女の中でばかり揺れ動いていて、自分というものを考えなかったのよ。」それに対して治療者は言った。「もしあなたが彼女になり、そして彼女を失ったとしたら」というと、シャーロットは、「そうね、そういうことだわ!」と叫んだ。そこでインデックスカードにシャーロットに次のように書くように言う。「私の大事な部分があなたになり、それを失いたくない」それを次のセッションまでの2週間の間に何度も読んできてもらった。二週間たって現れたシャーロットは言う。「何か変な感じ。私が二人いて、一人は私のそばにいて、もう一人はナイナと付き合っていて…。でも私と彼女が一緒になるって、死ぬことじゃない?って思うようになり、変な気がするようになったのよ。それじゃうまくいかないわ。」そこで改めて治療者はシャーロットに書いてもらった。「私は彼女と一緒になるといい気持ちかもしれないけれど、もっともっと悪いことが起きるわ。」
これを治療者は繰り返してシャーロットに唱えてもらうことになる。つまり誰かと一緒になることが同時に心地よく、また恐ろしいという考えを何度も唱えるという治療を行うことになったという。





2014年7月13日日曜日

「恥と自己愛トラウマ」その後(2)

 本書でもう一つ充分に扱えなかったことのは、先に述べた厄介な人たち、「勝手に自己愛トラウマの犠牲者になってしまい、他人に迷惑をかけるような困った人」、すなわちおそらく一般的な意味での「自己愛パーソナリティ障害」に該当する人たちなのである。しかしこれでは少し長いので、「ナルな人たち」と呼ぶことにしよう。
考えてみると「ナルな人たち」はこの世のいたるところにあふれている。政治家、弁護士、会社社長、医者、教師・・・・一般に「先生」と呼ばれるような立場にある人たちの大半は「ナルな人たち」であり、周囲の言葉遣いや態度に極めて敏感である。年功による序列や身分の違いにうるさい日本社会では特にそのような人々がはびこっているよう出会う。ところがそれらの若いころをさかのぼってみると、案外協調性があり、少なくとも表面上は謙虚で配慮ある性格であったりする。人は地位や名誉を獲得すると、どうやってナルな人たち」に代わっていくのだろうか?彼らの若いころの特徴はあるのだろうか?しばらくはこちらのほうのテーマを追っているが、ある時この講演をしていて聴衆の方からの質問に答えているうちに一つのアイデアが浮かんだ。
ナルな人たちとは、おそらく幼小児より人により態度を変え、自分より強い立場の人間には媚を売り、弱い立場の人間には居丈高に振る舞うという習性を身に付けている人ではないか?思えば社会の中で自らの地位を築くには、強い人に嫌われないことは大切なことだ。他方自分より弱い立場の人にサービスをしたからといって直接得られる利得は少ないだろう。
では人により態度を変える人は、性格異常なのだろうか?そのような人は巷に大勢いる。というより人により態度を変えない人など、そもそも居るのだろうか? そんな人こそ聖人君主であり、めったに出会うことなどできないのではないだろうか?
しかし人により態度を変えることには、すでに自己愛が入り込んでいる。弱い立場の人に対して居丈高であろうということは、そこで自己愛的な満足体験を得ているということだ。しかしこのような傾向を持たない人などいるのであろうか?
一冊の本を書くということは気の遠くなる作業である。ただしそれに一定期間付き合うことでさらなるテーマが見えてくることがある。それはおそらく長編作を書き継ぐ作家の心理にも近いのかもしれない。私は長編作家ではないが、私の「書く」作業には似たような性質があるように感じることがある。

2014年7月12日土曜日

「恥と自己愛トラウマ」その後 (1)


「恥と自己愛トラウマ」(岩崎学術出版社、2014年)の出版後、「自己愛トラウマ」という表現がそれをきっかけに一気に流行ったという話は残念ながら聞かない。本来あまりセンセーショナルなテーマとは言えないであろうが、私は相変わらず続編の発表の可能性も見据えつつ、このテーマを追い続けている。
自己愛トラウマとは、自己愛が傷つけられることにより生じる心的なトラウマのことである。発達障害に関連した事件、いじめ、モンスター化現象など、様々な問題にこの自己愛トラウマが関連しているというのが本書の趣旨である。しかし改めて考え直すと、自己愛トラウマは、トラウマとは言っても、かなり身勝手なそれである可能性がある。本人の自意識が強く、人からバカにされはしないか、という恐れが大きいばかりに、普通の人だったら傷つかなくてもいいところで傷ついてしまう。しかし問題はそれが本人にとってはトラウマとして体験されるために、爆発的な力を生み、その反動は怒りとなって確実に「あいまいな加害者」に向かい、他者はその濡れ衣を着せられることが多い。加害者は実は被害者に反転したりする。実に複雑で厄介な人たちでもある。
私が本書で十分触れることが出来なかった問題が二つある。ひとつは自己愛トラウマにおいては、加害者と被害者はしばしば明確ではなく、時には反転さえするという現象である。それは「あいまいな加害者」という表現でのみ触れた問題である。加害者の存在はしばしばあいまいなだけでなく、明らかな形では存在せず、時には被害者にすらなるということである。
 本書でもふれた「浅草通り魔殺人事件」を考えてみよう。「歩いていた短大生に、後ろから声をかけたらビックリした顔をしたのでカッとなって刺した」という当人の言い分である。この場合、犯人は「自己愛トラウマ」を受けたのだろう。そのトラウマを与えたのは短大生であり、当人はその限りにおいては被害者ということになる。しかしこの事件の最大の犠牲者、被害者はこの短大生であることは言うまでもない。それでは犯人の体験をトラウマと呼んではいけないのだろうか? 倫理的には「とんでもない、身勝手な話だ」ということになろう。でも心理学的はこれをトラウマと扱うことで見えてくることがある。それは通常の、一般人が理解できるような自己愛トラウマと同じようなインパクトを当人に与え、またそれが激しい攻撃性を周囲に向けさせたという事実である。この、倫理的な理解とは切り離されたトラウマ理論は、しかし一部の発達障害における心の働き方や、場合によっては反社会的な人々の心の働きにも及ぶ可能性がある。その意味ではこのテーマを扱うことは、何か危険領域に論を進めているような不安を感じさせる作業でもあった。





2014年7月11日金曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)11

話を戻して・・・・・。とにかくこれを目指す治療法を本書で展開していくというわけだ。その治療法のことを本書では「コヒアレンス療法 Coherence Therapy」と呼んでいるので、しばらくこの呼び方を用いよう。(coherence とは
一貫性、統一性、という意味だが、それは症状はその人の学習した結果からは必然的に起きてくるのであり、その学習そのものを再固定化により改変することは、症状の消失に必ずつながる、というような意味である。)本書には、結局次のような治療の手法が描かれている。全部で段階からなるという。
1.症状を同定する
2.治療対象となる学習内容を聞き取る
3.学習内容の「DK, disconfirming knowledge 確信を崩すような知識」を見出す

本書には一つの具体例が載せられているのでそれを参考にして説明しよう。ただし私なりに編集してある。

Aさんという30代の男性がいた。彼は仕事で自己主張をするのが苦手であるという。何か言おうとしても、自分は意味のないことを主張していることになるのではないかと思い、口に出ないという。これが、1の「症状の同定」ということである。そこでセッションで、実際に職場で何かいいアイデアを出してみたことを想像してもらう。するとAさんは「ああ、自分は嫌われてしまった!」と感じられたという。治療者がもう少し聞いてみると、Aさんは「ああ、自己主張の強いあのろくでなしの父親のように自分は思われてしまっているんだ。」と言ったという。そこで2の「治療対象となる学習内容」とは、「自己主張すると、父親のようにいやな人間に思われる」ということになる。これをもう少しはっきりと言葉に直すならば、「少しでも自信を持てると、それは自己中心的で傲慢であり、父親のようになってしまう。だから自分は決して自信を持てない。」となる。この文章は治療者がAと話し合って決めたもので、Aはこれを口に出して読んだ際に、心から、というよりは体のレベルで「この通りだなあ」と感じられることが大切であるという。治療者はこれをAにインデックスカードに書かせて、次の治療セッションまでに何度も読んでみるように指示した。
次のセッションでAはこんな経験を報告したという。「昨日会社である企画が頭に浮かんだんですけれど、例により自信がなくて言えませんでした。ところが隣の同僚がその同じ企画を口に出して提案し、結構受け入れられたんです。私はその時ちょっとしたショックを受けました。」治療者はこの体験を3.のDK(学習内容の確信を崩すような知識)として使うことを決めた。
治療者はAさんに「では次のようなシーンを想像してください。あなたは仕事場の企画会議で一つのアイデアを思いつきますが、口に出さないことにします。そんなことをすると傲慢だと受け取られて嫌われるからです。すると誰かがそのアイデアを口にします。すると驚いたことに、誰もそれを傲慢とは受け入れず、そのアイデアをうけいれたのです!」このイメージトレーニングを治療者はAに何度もやってもらう。そうしてもう一枚のインデックスカードを取り出して、文章を書いてもらう。
「少しでも自信を持てると、それは自己中心的で傲慢であり、父親になってしまう。だから自分は決して自信を持てないと思っていた。ところが実際に口にすると全然そんなことはなかったのだ!」
これを次のセッションまでにAさんは暇さえあれば何度も取り出して読むということになった。

うーん、こんなにうまくいくのかな? 

2014年7月10日木曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)10

ちなみにちなみに・・・・
以下のような例は、このブログで扱っているミスマッチとは関係があるのだろうか?少し引用は長いが。ネットから(http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140509/waf14050907000001-n1.htmの引用だ。
  
MSN産経ニュースWest 2014.5.9 07:00
薬物依存の新治療法「疑似注射」の効果は…静脈にあてた注射器「蘇る高揚感」

 覚醒剤などの薬物依存を克服するために戦っている患者に、注射器を積極的に「提供」する病院が大阪府富田林市にある。依存から脱却するためには、薬そのものや、それを摂取するための注射器などは目の届かないところに遠ざけるのが通例のように思われてきたが、この病院では逆に、脳の働きを利用し、本物そっくりに似せた注射器による“疑似本番”で欲求を徐々に薄めていくのが狙いだ。「薬物使用」→「刑務所生活」→「釈放後に再び薬物使用」という負のサイクルに楔(くさび)を打ち込む新治療法として患者は年々増加しており、司法関係者らの注目も集めている。
「射精の感覚」腕に注射器あてるだけで…
 川のほとりに建つ「汐の宮温泉病院」(富田林市伏見堂)。4月中旬、アルコール依存症患者ら約20人が集まった院内ホールに、注射器を手にした4人の男女の姿があった。昨年10月から入院している兵庫県の男性(42)が、白い粉(食塩)を混ぜた水を、注射器に流し込む。中指で表面をはじきながら、慎重に水泡を抜いていく。針のない先端を静脈にあてピストンを押し戻すと、内蔵された赤黒いインクが筒内ににじんだ。「心臓がドキドキして、のどが渇く。『自分はなんでもできる』。あの高揚感が、蘇るんです」。男性がそうつぶやくと、隣にいた堺市の男性(27)も「針を刺していないのに、性交で射精するときの感覚が味わえる。初めて注射したときはびっくりした」とうなずいた。
原理は「パブロフの犬」
 偽物の注射器を扱うだけで、なぜ薬物使用時の感覚が再現されるのか。そして、快楽の記憶を呼び覚ます「疑似注射」が治療に結びつくのか。疑問をぶつけると、同院の中元総一郎医師は「パブロフの犬」という聞き覚えのある言葉で説明を始めた。 ベルを鳴らしてから犬に餌を与える行為を続けると、犬は次第に、ベルの音を聞くだけでよだれを出すようになる。薬物依存症患者も同様に、覚醒剤の報道に接したり、注射器を見るだけで使用時の感覚が再現される「条件反射」が形成されているという。
 条件反射は理性をつかさどる神経系統を経由せずに起こる。そのため、「二度と薬物を使わない」と強固な意志があっても、再び薬物に手を染めてしまうのだ。
 中元医師らが取り組む「条件反射制御法」は、条件反射を引き起こすようなシチュエーションを繰り返し再現する。「ベルが鳴っても餌がもらえない」という体験を続けることで、「ベルが鳴る」→「餌がもらえる」という条件反射を鈍くさせるのが狙いだ。疑似注射は条件反射制御法のプログラムの1つで、200回以上反復するうちに高揚感などが薄れていくという。
研究の原点は患者の「便意」
 「仲間同士でクスリを使う直前、なぜかみんなトイレに行列を作る」。疑似注射の原点は、下総精神医療センター(千葉市)の平井慎二医師が患者から聞いた不可解な話だった。
 平井医師らが患者への聞き取りを進める中で「覚醒剤を使用すると腸がゆるむ」経験が、「覚醒剤を見るだけで便意が生じる」という条件反射の形成につながっていたことが判明。「条件反射の反応を低減させる」という新治療法の発想に結びついた。
 同センターで平井医師らとともに研究に取り組んでいた中元医師が平成23年、汐の宮温泉病院に転勤し、関西の患者に対する本格的な治療も始まった。疑似注射などを使った薬物治療に救いを求め同院に入院した患者は同年度の15人から24年度が約30人、25年度が55人と急激に増加している。
「依存脱却」、実証は未知数
 新治療法は、司法の「常識」も覆した。 薬物使用の再犯などで起訴され、実刑を受ける可能性の高い被告はこれまで、判決確定前に保釈が認められるケースは極めて少なかった。しかし、2312月に覚せい剤取締法違反罪などで起訴され、西谷裕子弁護士(大阪弁護士会)が弁護を担当した女性被告の事件で、大阪地裁は汐の宮温泉病院での生活を条件とした保釈を認める異例の決定を出した。
 西谷弁護士はその後、同様の事案計5件で被告の保釈を請求、いずれも認められた。西谷弁護士は「『もう刑務所に行きたくない』。逮捕から収監までの間に常習者の更生への意思は最も強くなる」と指摘し、「この期間に保釈されれば治療に真摯(しんし)に向き合うため、再犯防止にも大きく寄与するはず」と期待を込める。
 ただ、新治療法は緒に就いたばかりで、薬物依存脱却に長期的な効果が見込めるかは未知数だ。汐の宮温泉病院のプログラムを終えた患者でも、約半数は1年以内に再び薬物を使用しており、治療の実効性を高めようと試行錯誤が続く。中元医師は「社会性が低下している患者に治療と向き合あってもらうにはどうすればいいのか。課題を挙げればきりがない」と認めた上で、「十分な期間治療を継続できれば効果は見込める。取り組みを広げる活動を続けていきたい」と話している。
  
さて、この例は、実は「消去 extinction」の例ということが出来るだろう、というのが私の考えだ。消去と再固定化は違う。再固定化とは、ネズミにベルの音を鳴らした後に、肢に対するショックではなく、たとえばミルクを与えるということだ。消去は、電気ショックを与えない、ということを繰り返すということだ。実は「例の本」ではこの両者が明らかに違うといっているのだ。ただしこう言ったうえで正直に告白すると、私は両者の明白な違いは理解していない。というよりか消去のプロセスは再固定化の要素を含んでいるような場合があるように思えてならない。なぜなら足にショックが加えられないのは、明らかに予想外であり、ミスマッチだからである。
ただしこの例にみられるような、偽の注射器による治療は、ある意味ではとても工夫された消去であるということがわかる。先ほどのネズミの例で言えば、肢へのショックの持続時間が、それまで1秒続いていたのが、ほんの0.1秒で終わる、とか。つまりショックの雰囲気は続いているが苦痛そのものの量がうんと小さくなるという形で行われる消去。
私は以前から不思議に思っていたのだが、毎日10本のビールを飲み続けていた人が、断酒をする際に、冷たく冷やしたノンアルコールビールでもなんとかやっていけるということがある。どうして肝心のアルコールがないのに、それでも満足をある程度味わえるか、ということだ。タバコで言えば「電子タバコ」、つまり吸うと先から湯気が出て豆電球が赤く光るように作られたロボットタバコである程度やり過ごせる人である。それは快感中枢の刺激には、純粋のアルコールやニコチン以外の様々な刺激が関与しているということである。ちょうどカツ丼が好きな人が、カツを抜いたコロモだけの「コロモ丼」でもある程度満足するようなものか。(吉野家やすき家も思い切って作ればいいのに。「コロモ丼。150円」とか。)
冗談はともかく。この「消去」の手法は、たとえば誰かが薬物を打っているシーンを見て「俺もまたやりたい!」という衝動を抑えるのには一役買っているのだと思う。ただし薬物そのものからくる快感を忘れたわけではない以上、あの快感をもう一度、と渇望する人を助けることはなかなか難しいのだろう。だから半数は再びはじめてしまうのだ。町と本当のカツの部分に餓えた人にはコロモ丼はあまり有効ではないように。

コロモ丼