2014年6月21日土曜日

解離の治療論 (66)

柴山先生を引用する

柴山雅俊先生は私の頼るべき先輩であり、解離研究の同僚であるが、彼の「解離の構造」(岩崎学術出版社、2010年)は非常に評価の高い研究書である。というより私はこの本の書評をさせていただいた気がする。うん確かにそうだ。ということでファイルを探してみると・・・・・。あった!!

「こころの科学」20112月号に掲載。結構感動しながら書いたたことを思い出す。これも掲載しよう。(昨日と流れは同じである。)

 柴山雅俊 著 「解離の構造」(岩崎学術出版社)書評  
国際医療福祉大学(当時)       岡野憲一郎
本書を読みながら、なんどもため息をついた。著者柴山雅俊氏の巧みな筆致とそれを裏付ける豊富な臨床観察。どちらかというと難解な文章ながら、知的で空疎なそれでは決してない。注意深く読み進めることで、私が知らなかった世界のページを次々と開いて見せてもらっているという感覚を持つ。ふと新人のころ、安永浩先生、内沼幸雄先生などの著作に触れた時の感激を思い出した。安永先生はいみじくも、氏が深い敬意を表している精神病理学者であるが、評者も若き日には彼の精緻な言葉の積み上げにより構築された建造物のような彼らの文章にわくわくして向かったものだ。私が昔から身近な先輩として敬愛していた柴山先生が、今やそのような著述を提供する立場にあるということは、さすがに時の流れを感じる。
特に秀逸なのは、文中にふんだんに織り込まれている症例の数々である。もう30年近くも前のことだが、似顔絵の名人でもある氏が即興で、共通のあらゆる知人の似顔絵をサラサラ描いて見せてびっくりした事がある。そのときに氏は、「人を見るときにすでに絵をかくモードで見ている」、とか説明されたのを思い出す。彼は患者さんと会っている時も、それをどう記述し、描写するかという視点を常に持ち続けているということなのだろう。
以下に本書を少し具体的に見てみる。
第Ⅰ部「解離の症例」は氏の比較的初期の業績(1992年、1996年)も収められているが、すでに症例の記載はきわめて詳細に及び、そのスタイルはすでにほぼ完成されていたのがわかる。彼の研究の主題のひとつである、離隔と区画化という分類もすでに明示されている。
第Ⅱ部「解離性障害の症候学と構造」は、氏の解離理論の真骨頂といえる。これはいわば解離性障害の詳細なアナトミーともいえるだろう。氏は、解離性幻聴、幻視、体感異常、時空的変容などについて詳しく分類し、症例を掲げる。その手際のよさは見事というしかない。例えば解離性幻視をとってみれば、外界出現型、表象幻視、体外離脱型幻視に分類され、その中の表象幻視をとってみれば、それは、形式による分類では、促迫型、白昼夢型、そして内容による分類は、空想型、記憶型、偽体外離脱型に分かれる・・・・といった具合である。これほどの類型化を明確に行っている解離論者を私は寡聞にして知らない。私が氏の学術的レベルは国際的にも十分通用すると思うのは、特にこの第Ⅱ部におけるこれら記述である。
第Ⅲ部「解離性障害と統合失調症」は章としては短いが、本書の中ではきわめて重要でかつポレミックな内容を持つ。というのもこの章は、氏が解離性障害との関連で、統合失調症概念について持っていたさまざまな疑問を改めて明示しているからである。そのなかでも初期統合失調症概念と解離性障害との関連についての議論が最も重要な位置を占めている。
初期統合失調症の概念は、日本の精神病理学の泰斗とも言える中安信夫先生により30年ほど前に提唱されたものであるが、多くの点で解離性の症状との異同について考えさせられる疾患概念であることについては、かねがね氏と評者は意見の一致を見ていたのである。柴山氏は中安氏の同概念が事実上解離性障害と多くの点で重なるという事情を指摘し、それが疾患概念として妥当なものかについて問うている。中安氏がその精神病理学的な論述をかつて丁寧に行っていることもあり、それに対する著者の論駁も極めて詳細である。これについては、ぜひ中安氏の側からの詳細な反論を期待したい。精神病理を志す多くの人たちがそれを望んでいるであろうし、議論がいかなる方向に向かおうとも、精神病理学にとって生産的な素材を提供してくれるであろう。
第Ⅳ部 「解離の治療論」では、長年東大病院の入院治療に携わった氏の臨床経験に基づいた治療論が開陳される。第1章「総論」には、「三つの私」への精神療法的接近として、解離という現象に戸惑い、不安を覚えている患者への説明を行うことの効用について論じられている。また回復への二つの経路としての、眠りと目覚めという概念も、森山公夫先生からの影響という点で興味深い。第2章「解離とボーダーライン」では、両者の鑑別という点も含めて、現代の境界性パーソナリティ障害を、「ボーダーライン心性」と解離心性との合併状態として整理している。
3章「交代人格の治療論-『包む』ことと『つながり』」は簡潔な章であり、また氏の治療観が一番よく表れている。そこでは患者にある種の包み込む環境を提供し、また三つの自己についての説明、つまり一種の心理教育を丁寧に施すことにより治療を進めるという方向性が示されている。これも柴山氏独自の治療論と言えるだろう。
私は氏の解離理論は、わが国における解離研究を一挙にその高みに上らせたと考えている。それはおそらく氏が本来この分野の研究を極めるような運命を担っていたのではないかと思えるほどに深い洞察を与えてくれていると思う。ただし氏がしばしば公言するように、彼の中心的な関心は、人格の多重化現象の病理、すなわち解離性同一性障害には必ずしもない。同障害についての治療論の詳細を期待した読者がいたとすれば、本書の内容とは多少のずれを感じたかもしれない。
本書が解離性障害を持ち、あるいはその臨床に携わる方々に広く読まれることを期待する。