2014年6月19日木曜日

解離の治療論 (64)

細澤仁先生の解離の治療論

解離性障害の論文「精神分析的精神療法 ―Sandor Ferenczi の「大実験」再考―」(細澤仁:精神療法 351871932009)を読んでみる。細澤先生の解離の論考は私も常々興味を持っていた。彼の著作には解離性障害の治療技法、みすず書房 2008年というモノグラフがあるが、この論文に彼の思考のエッセンスを読み取りたい。彼の論旨は、フェレンチの行ったいわゆる「大実験」(すなわち患者にできるだけ多くを提供し、退行状態を作る)に多くを学びつつ、ウィニコットの治療論に基づいた一時ナルシズムを分析的に扱うという手法を重んじるというものである。
細澤先生の治療論の特徴は、精神分析の理論的な枠組みを出ないことにあるといっていいだろう。そこで解離性障害の不安は、精神病水準の不安である、という定式化が導入される。このことは必然的に、そこで問題になる一次ナルシシズムを抱えるという理論につながるわけであるが、そこで重要なのは、そこでは外傷の再演は必然的に起きること、そこで「抱えを提供すること」は「境界の破壊」であり、「治療者の行動化」であることをわかって行い、それを解釈を通じて返すことで悪性の退行を招くことがないとする。
私は治療者は常に創造的であるべきだと思うし、古い理論にとらわれるのはいやである。だからメンタリティは細澤先生的なのだ。ただしおそらく私は彼よりもさらに分析の枠組みからは外れているらしく、解離性障害を精神病性不安という分析的概念から理解するという立場とは異なる。やはり「解離は解離、精神病とは違う」のである。もちろん一部の患者さんは深刻な退行を通じての回復が必要かもしれないが、自然に回復する人たちもいる。それらの人たちには「大実験」を行うことはないだろう。ただし細澤先生の理論をBPDに当てはめるとすれば、かなり合点がいく部分がある。というわけで、本文(ナンの話だ?)には次のように付け加えよう。

 解離性障害の精神療法に関しては、そこに伏在する精神病水準の不安をめぐる治療を提唱する細澤の理論(細澤仁:精神分析的精神療法 ―Sandor Ferenczi の「大実験」再考―精神療法 351871932009)が参考になるが、本稿では精神分析の枠組みを離れて一般精神医学の立場から提供されるべき精神療法について考えてみよう。