2014年6月15日日曜日

解離の治療論 (60)

 これから数日間、ブロンバーグ(Phillip  Bromberg)の論文を読むことにする。実は彼の理論については、以前にもこのブログで触れたことがある。彼は解離と精神分析のインターフェースについて探求しているような人だ。英語のWikiには
Standing in the Spaces: Essays on Clinical Process, Trauma, and Dissociation (1998), Awakening the Dreamer: Clinical Journeys (2006), and The Shadow of the Tsunami: and the Growth of the Relational Mind(2011). 
が彼の3つの主要な著作として掲げられている。「Tsunami」って、津波のことかしら。私もこの解離と精神分析の重複部分を追っかけている立場なので参考になるだろう。ちなみにこの論文も例の「D Book」に掲載されているものだ。
話はフロイトの「ヒステリー研究」から始まる。わかりやすいねえ。
同じヒステリーを見ていても、ブロイアーの意見にフロイトは賛成しなかった。ブロイアーの概念でフロイトが気に入らなかったのが、類催眠状態hypnoid state  と意識のスプリッティング。こう見るとブロイアーはまさに解離論者だったことがわかる。そしてその理論の全体がフロイトには受け入れがたかった。ここには背後にジャネへの対抗意識があったというが、案外こういうのが人の理論形成に大きく関係しているから厄介なのである。しかしそれだけではない。フロイトは「私は自己催眠性ヒステリーに出会ったことはない。ただ防衛神経症に出会っただけだ」と言ったという。この態度は現在において解離患者に出会ったことはないという臨床家と似ている。別人格に見えるものは実は防衛の産物である、ということで片づけてしまう臨床家は今でも実に多いが、フロイトもそうだったというわけである。

このフロイトの態度に対して、彼の周囲でもブロイアーの立場に賛同する弟子たちが存在した。その一人がフェレンチであったとブロンバークは言う。フェレンチこそが患者の幼児期におけるトラウマについて論じ、転移現象を通じてそれを扱うことが治療につながるという理論を唱えたのである。