2014年5月23日金曜日

解離の治療論 (36)欧米における解離の治療論(10)


<治療の目標> について記述しているのであった。これを続ける。ガイドラインには次のような文がある。
「患者ば別のアイデンティティを作り出すことを示唆したり、名前のないアイデンティティに名前を付けたり(ただし患者は自分が望んだら名前を選ぶことはできるだろう)、アイデンティティがすでに機能している以上に精緻化され、自立した機能を行うように示唆するべきではない。」
ここについては私は意義があるのだ。私は「名前のないアイデンティティに名前を付ける」ことは場合によっては、ケースバイケースだと考えている。なぜなら名前のない人格に一度会った時に、次に確かめるのが大変なのだ。「ええっと、●月×日にお会いした、■■についての思い出をお話になった方ですね。お元気でしたか?」というよりは、「ああ、Aさんでしたね」の方がいいだろう。私は人格に名前を聞いて「私に名前はありません」と言われたら、では仮に何々さんとお呼びしたらいいですか?と聞くことさえある。ここだけの話だが、それには治療的な意味あいさえ含まれる可能性があると思えるのだ。
とにかくこのガイドラインの文章は書き換える必要あり。

「患者ば別のアイデンティティを作り出すことを示唆したり、名前のないアイデンティティに名前を付けたり(ただし患者は自分が望んだら名前を選ぶことはできるだろう)、アイデンティティがすでに機能している以上に精緻化され、自立した機能を行うように示唆するべきではないことには慎重であるべきだとする臨床家が多い。」くらいかな。

マッピングについてもこんな風に書いてみよう。「いわゆるマッピングについては、以前ほど治療手段としての意味が与えられていないのも事実である。ただしそれが治療の進展により必然的に出現する別人格についての成育歴を聞くという作業の結果なされるのであれば特に問題はないであろう。」
さてガイドラインの治療論は佳境に入って行く。「望まれる治療の帰結は統合integration ないしは交代人格の間の調和 harmony である。統合や融合fusion などの用語は時には混乱を引き起こす。」 ん?どういう意味でだろう?「統合というのは広範囲の、長期にわたるプロセスで、解離的なプロセスのすべてに言及されることである。」「それに比べて融合というのは、ある一つの時点で二つ以上のアイデンティティが一緒になり、主観的な区別の感覚が失われることである。」ふーん、知らなかった。「最終的な融合final fusion とは最終的に統一された自己の感覚を持つことを言う。」「この両者の混乱を避けるために、一部の人々は統一unification という用語を提唱している。」フンフン。そこでここは書き直して。
 「望まれる治療の帰結は交代人格の間の調和 harmony である。統合や融合fusion などの用語は時には混乱を引き起こすので慎重にならなくてはならない。」 「この調和は、存在が確認されたすべての交代人格の共存を必ずしも意味せず、一定の人格の安眠状態をも含む。」
どうだろう!この「安眠状態」という表現。しっかし本当にこんな文章が、あの権威ある学会誌に掲載してもらえるのだろうか?いちおう依頼原稿なのだが。