2014年4月13日日曜日

解離の治療論 (29)欧米における解離の治療論(3)

ところでにこの論文では早速DIDの成因の説として「構造的解離理論」という単語が登場してくるが、これはある意味では当然のことと言えるだろう。この理論の提唱者の一人であるVan der Hart先生はこの学会の重鎮だからである。
ところでこの論文の冒頭では、もう一つ少し気になることが書いてある。「DIDはもともと統合されている心に生じた問題ではない。正常な心の統合がうまく行かなかったことが原因だ。そしてそれは圧倒的な体験や、養育者との関係の障害(例えばニグレクトや、問いかけに応えてくれないなど)が幼少時の臨界期に生じたことによる。その結果として心にサブシステムが形成されたのだ。」
この部分について去年の夏書いたときは、かなりはっきり意をと泣いたのであるが、今はあまり反論する気になれない。ただ問題は「心が統合されていないうちにトラウマが起きることで、解離が生じる」、という部分が誤解を招くということだ。
 子供は小さいながらに統合された心を形成しつつある。ところが圧倒的な出来事が起きて意識が飛ぶ。その間心のもう一つの部分が心を代行するということが起きるのだろう。それが解離の始まりなのだ。問題はこのもう一つの部分の心が独自に人格を持つという現象が幼少時にしか典型的に起きないということだろう。一つの可能性は幼少時には心が成熟していないから、ということで、それがこの論文の趣旨である。しかしそうではなく、幼少時には特殊な能力が備わっているから、と考えるべきだろうと私は思う。つまり人間の脳のIPS細胞的な性質なのである。
 もうちょっと説明しよう。圧倒的な出来事が起きた時、大人でも朦朧としてしまい、トランス状態になることがある。いわゆるperi-traumatic dissociation (トラウマ周辺の解離)、という状態だ。それを仮にB状態としよう。B状態はやがてフラッシュバックのように襲ってくることになるだろう。構造的解離理論がこれをEP(情緒的な人格部分)と呼んでいるのは私も知っているし、それはうまい考えだと思う。つまりフラッシュバックした時は、体験そのものがよみがえっているというよりは、人格状態が丸ごとよみがえってくるんだよ、と言う含みだ。PTSDを解離の範疇に飲み込むような概念である。
問題はB状態がどこまで精緻化されるかということだ。精緻化sophistication とは要するに、B状態が「顔なしさん」ではなく、目鼻が書き込まれ、名前まで備わっている状態になるということだ。