2014年3月22日土曜日

続・解離の治療論(8)

春の兆しは濃厚になってきているが、まだ朝晩はかなり寒い。昨日「●●一番」というカレーチェーン店で、「ポークカレー」というのを頼んだ。ところがルーの中に、形を成している豚肉がひとつも入っていない!その他の具も入っていず、つまり液体のみ。かすかに肉の断片のようなものが見えるだけ。こういうのーって、どーなんだろう?

子供の人格とは、その人の中でまだ扱われ切れていない人格部分という意味を持つ。単純に言えば、その人が子供時代に表現できなかったものが、「うかばれずに」残っていると考えてだいたいは間違いがないだろう。
 DIDの方の多くは幼少時に子供らしさや甘えを十分に表現できていない。その原因は両方向性でありうる。つまり子どもの側で、子供らしい行動を制限していた場合もあれば、親の側で子供の子供らしさを抑制していた場合もある。しかし常識的に考えて、子供らしさを表現することを控えていた子供の方に罪はありえない。子供が自然にふるまうことを自らに制する場合には、それを促すような親からのメッセージが与えられていたと考えるべきである。
ただし親がそのようなメッセージを出していたことを意識していたかどうかはまた別の問題である。幼少時に子供らしさを表現しない子供の場合、大抵は「聞き分けの良い」「いい子」とみなされ、扱われていたことになる。すると子供のそのような性質を褒め、受け入れることは、結果的に子供に子供らしくあることを強く抑制するとしても、親の側にはその意識が欠如していることも少なくない。
ちなみにDIDの方の幼少時の印象として、必ずしも「いい子」ばかりではないことは付け加えておかなくてはならない。DIDの方の母親が「この子は小さいころから頑固で自己主張が強いという一面を持っていました」と証言する場合もあるからだ。その場合には子供の頃から既に、「いい子」の主人格とは異なる人格が時々出没していたと考えられるのである。
このようなことからも、DIDの子供人格の成因の議論に足を踏み込むことは時には危険が伴う。すぐにでも親の批判が始まってしまいかねないからだ。だからここでは一般化した言い方を用いて、子供の人格はともかくも自己表現を求めて出てくる、という程度に考えておこう。これはほぼ間違いないことであろうからだ。