2013年12月1日日曜日

小此木先生の思い出(9)

さて、そろそろ小此木先生の思い出を終わらせなくてはならない。私にとっての小此木先生はどのような人だったのか?私は弟子とは言えない存在だったし、彼の後継者などの器では全くなかった。それなのにとても可愛がってもらえた。そして私のような体験を持った人は、もちろんたくさんいたのだろうと思う。それぞれが小此木先生に優しい声をかけられ、期待をしているよと言われ、勉強の成果を先生の前で披露した。彼らに対して先生は平等だったのだろうと思う。
ただしもちろん小此木先生の優しさは、彼自身がその弟子から話を聞くことでご自身の引き出しを増やすということの楽しさにも裏打ちされていたと思う。先生は若い頃は特に、手当たり次第読書をなさったという。海外に留学して新しい体験を持つ弟子たちと話すことは、おそらく彼にとっても純粋に好奇心を刺激し、楽しい体験であったらしい。それを弟子の側は「優しくしていただいた」と感じていたという側面がある。一種のギブアンドテイクだったのだ。
 それだけに小此木先生からの教えを一方的に受ける立場の先生方には、先生の少し違った側面を体験した人もいるようだ。かつてのお弟子さんの中には、先生のかなり手厳しい態度を体験したという話もよく聞くのである。それらの人々の中には、おそらく小此木先生から直接精神分析の手ほどきを受け、先生の考えを直接取り入れた先生方もいらしたと思う。そしてそのような立場の先生方は、比較的容易に先生とのエディプス状況に入っていったというニュアンスもある。その意味では先生と私とは適度の距離が存在していたのが良かったのかもしれない。
 もう一つ穿った考えをするならば、先生と私はある共通のテーマを持っていたのではないかと想像してしまう。それは従来の精神分析理論をどのように自分の中で消化し、相対化するかという問題だ。純粋主義vs相対主義という私のスキームは先生に気に入っていただけたようだったが、先生との会見の最後の部分は、フロイトがいかにフロイト理論とは異なり、自由に振舞っていたのか、という事に興味があるという話であった。そしてその頃先生がお読みになったアーノルド・クーパーの論文に触れ、フロイトが実際に患者とのあいだで自分自身についても語り、自由な感情表現をしていたことに関心を示されていた。
小此木先生の思い出についての話はここで終わるが、これを書く事はとても良かったと思う。いろいろ先生のことが思い出せて、その関係を再確認できたと思う。
 私にとって亡くなった方は依然として同じように生きているのである。その意味では先生の死去は彼の存在の近さを損なうことには少しもなっていない。この録音を何度も聞くことで、彼はまさに私の心の何生きて、微笑みかけてくれる存在であり続けることを実感したのである。