2013年12月21日土曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(6)


ということはもちろん子供であっても、その環境さえ整えばNPD的になる。2、3年前であるが、ある子役スターについて書かれていたものをネットで読んだ(要典拠)。一世を風靡したその「天才子役」は、もはや●●(名)ちゃんではなく、○○(姓)さんと呼ばないと本人がムクれて返事をしないという。年端もいかない子に対して周囲が気を使い、○○さんと呼ぶ。おそらくそれが進むと「○○先生」と呼ばれなければ振り向きもしない、ということになりかねないだろう。この異常な事態がじつは普通になってしまうのは、それを許すような状況が出来上がった場合である。つまりその子役が局の視聴率の上昇に大きく貢献し、その意向や機嫌を気にしなければいけないほどの存在感を持った場合である。
 普通は子供はそんな状況には置かれない。しかし場合によっては置かれてしまうのが、天才子役、若手スター、子供の頃から才能を花開かせた幼少の芸術家、天才棋士などである。そう、NPDは獲得するPDである、ということは、人生の後半になり年をとってからなる、ということには決してならないのだ。不幸にして幼少時に獲得してしまうことがある。
 私はここで不幸にして、と書いたが、そうなるとかわいそうなことになる。どこかで読んだが(要典拠)囲碁の世界などでは、才能を花開かせた子供の棋士が、近所の碁会所などでは相手がいなくなり、並み居る年配の強豪をこてんぱんに破ってしまい、そこでは「先生」になってしまう。しかしこのような栄光を幼少時に体験してしまうと、その後の人生が大変だそうだ。本格的な囲碁の世界、例えば奨励会などに入れば、そのような天才ばかりゴロゴロいて、そこで順調に勝ち星を重ねることはできない。それどころか一定の年齢に達しないうちに四段にならないとそれこそプロにもなれず、学歴も持たない中途半端な「ただの人」になってしまう。これは幼少時にNPDになる機会を持った人にとっては耐え難いらしいのだ。
ここで少しキャッチーな見出しを考えてみた。
自己愛の風船は無限に膨らむ

ちょっとこれで書いてみようと思う。簡単に言えば、人間の自己愛は、無限に膨らむ風船のようなものだ。膨らむスペースがある限り膨らんでいく。大きくなったらNPDになる。その人がもともとNPDだったわけではない。人は環境によりNPDに化けるのである。