2013年12月19日木曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(4)


さてこの「強面イコール人見知り」説は、私の中では既に自己愛と恥の議論に入っているのである。強面人間がその面相を崩さないのは、周囲によってそれが許されるからだ。人に対して傲慢で横柄でいられるのである。これは自己愛、ないしは自己愛の病理、すなわちNPD(自己愛パーソナリティ障害)の状態である。ここで自己愛とNPDを分けたが、これは実は微妙である。DSMではそれが障害disorder であるためには、それが自己や他人を苦しめていることが必要だが、NPDは周囲が困っていても本人が困っていないことが多い。そして周囲も文句を言えない立場にあるとすれば、一見「誰も困っていない」ことになる。部下や生徒はその人の表情や身振りに敏感になり、その非言語的な意図やメッセージを読み取ろうとする。本人の口下手、人見知りが自己愛の病理とうまく会い、本人をますます怖く見せる。これは自己愛の病理と人見知りの相乗り効果である。

ということで私の頭に浮かぶのが小沢さんだ。あるエピソードについて、何年か前に読んだことがある。(この種のエピソードは私の記憶に多く残っているのだが、もちろん典拠を示すことは無理である。それにかなり私なりの脚色が入っている。)あるとき小沢さんがある後輩の政治家と会っていたが、強面を崩さずに打ち解けず、怖い雰囲気だったという。ところがふとしたことからその政治家の出身も岩手県だと分かると、「なんだ、あんたも岩手出身か!」と小沢さんの表情が急に変わってしまい、すっかり打ち解けた雰囲気になったという。何だこりゃ。小沢さんの方も相手を警戒して、というか対人緊張気味になっていたから堅苦しい雰囲気になっていたということではないか。相手の正体がわかって(あるいは分かった気になって)一気に彼の緊張が溶けたのである。
 しかし考えてみれば相手が同郷の出身と知って打ち解けるって、どういうことだろうか?私も対人緊張は強いが、職業柄人と会い慣れているせいか、そして精神科の場合は特にこちらの打ち解け方が極めて重要なせいか、同郷出身とわかってさらに打ち解けるような延びしろはあまり残っていない。やはり小沢さんは変わっているなあ。
 小沢さんにしても、中川さんも(あ、書いちゃった)強面=人見知りの政治家は困ったものだが、別に政治家に限ったことではない。私の職業上、しばしば出会うがこちらの挨拶を決して返してくれない人がいる。しかし特に腹が立たないのは、その人が対人緊張が強いことを私が感じるからである。対人緊張が強いと、相手と目を合わすことすら億劫になる。挨拶を交わすことはもっと面倒になる。煩わしいのである。その上に年齢や社会的地位が上がると、「同僚と挨拶をろくにしないことでどうなっても構わない」という心境になる。そのまま更に年を重ねると、無理にでも挨拶をして愛想を振りまかなくてはならない人がとうとうゼロになってしまう。ただしそのような人でも一目を置いて気を使う必要があるとすれば・・・・カミさんくらいだろうか。