2013年12月3日火曜日

「難しい親たち」とパーソナリティ障害の問題(2)

 先週末は森田療法学会で徳島にいたが、そこである先生がうつの患者さんを集めた病棟の話をなさっていた。そこで印象的だったのは、従来は几帳面で自責的な性格傾向の人々、いわゆる「メランコリー親和型」(テレンバッハ)の人々が示す病棟での予想外の怒りであり、いわばモンスター化であったという。しかしそれは中年を過ぎた患者さんにとっても言えることというのだ。
 思えば60年代、70年代に日本で、あるいは世界で大変なモンスター化現象があったことをご存知だろうか?そう、学生運動である。生徒が教授を「お前」呼ばわりし、集団でつるし上げる、デモ行進をして国会を取り巻くという大変な時代があったことを少し上の世代の方なら鮮明に覚えているはずだ。あれは当時からすれば現代の学生の未熟さ、他罰傾向として説明されたであろう。しかし時代は変わり、あの運動はすっかり過去のものになっている。学生たちは学生運動の世代以前よりもっとノンポリになっている傾向すらある。今から思えば時代の産物だったということがわかる。
このブログは例によって書きながら考えることを目的としているが、考える前に私が立てている仮説とは、日本社会において人が権利を主張するという、当然当たり前のことがようやく生じ始め、それに対して主張やクレイムを受ける側がどのように対応していいかわからないために、主張をする側がエスカレートするということが起きているという可能性だ。つまりクレイムを受ける側の態勢が整っていない。そのためにクレイマーからの電話を長々と切れないという現象が生じ、そこで多くのストレスを体験した職員が、一部はうつになり、一部は「新型うつ」の形をとり、そしてまた一部は・・・・・・自身がクレイマーになるのである!!
しばらく前のことだが、勤め先の病院で帰りがけに玄関釘に差し掛かると、病院主催の勉強会に集まった市民の一人が猛烈な勢いで主催者側の事務員に食って掛かっていた。いい年をした親父だ。どうやら勉強会の講師である医師の到着が遅れているらしい。しかし板ばさみにあった事務員は困りきった様子でその男に対応していた。
 このような時、私は2004年まで暮らしていたアメリカでのことが思い出される。米国では誰かが声を荒げた時点で警備員や警察が呼ばれる。怒鳴ることは「verbal aggression 言葉の暴力」であり、帰途を殴ったり物を壊したりする「physical aggression 身体的な暴力」と同等なのだ。だから怒鳴る側にも覚悟がいるし、制服の人々が現れればあっという間におとなしくなる。日本では怒った市民への対応が、非常に甘い。まずなだめようとする。それはそれで悪くはないし、それで大部分の人は落ち着くのだろう。しかし一部はモンスター化するのである。