2013年11月7日木曜日

エナクトメントと解離(3)

 昨日こんな夢を見た・・・。ダメだ、アイデアが出てこない。

スターンはこんなことを書いているという。「解離状態に導いた状況を、患者は治療状況で再現することになる。それがエナクトメントだが、その中で患者は自分がトラウマを受けた状況を繰り返すのだ。それは患者の、トラウマ状況を少しでも別の形で体験しなおそうとする試みだが、その中で患者はほかの人を加害者の立場に立たせ、自分に再外傷体験を負わせている。そのエナクトメントの相補的なバージョンにより、状況をコントロールしようという試みの中で、実は患者は他人にトラウマを負わせる結果ともなる。」(2003)
私にはほとんど呪文の言葉のようにしか聞こえないが、ひとつの考えとして受け止めておこうか。ここには分析家に特有の理屈のこねまわしや知性化(ヒャー、言っちゃった。まあスターン本人は日本語を読めるわけはないし、いいか。)を疑ってしまうのだ。
少し考えてみようか。スターンはここでのエナクトメントを、あたかもトラウマのフラッシュバックないしは解離体験として扱っているというところがある。そのように考えるとこの文章がある程度納得がいくだろう。でもそうでないエナクトメントともいくらでもあるのではないか。トラウマには直接かかわらないような。解離とも言えないような。エナクトメント=解離とするとちょっと無理があるのかな、とも思う。あくまでもエナクトメントの一部に解離が含まれる、ぐらいのほうがいいのではないだろうか。
そしてこんなことが書いてある。もし私が内部の観察者を解離したなら、私の仕事は誇大的になってしまうだろう、と。そうか、観察している自分はいつも意識されているから重要で、それが視野から消えると解離という理屈だろう。
スターンはこんなことも言っている。「エナクトメントは、解離の対人化 iinterpersonalizationである。その人が葛藤を抱えていられないから、それを人とのあいだで体験するという形になるのだ。患者により解離された部分は治療者に体験される。そして患者の中で明白に体験されたものは、治療者の中で解離される。つまり両者はお互いに部分的にしか体験されていない。」えーほんとかな。半信半疑。

図にしてみよう。