2013年10月25日金曜日

エナクトメントについて考える(2)

全くどうでもいい話だが、裁断機の刃を交換することにした。Plusという裁断機としては大手の機械を使っているが、最近急に刃こぼれが目立ち始めた。すごく苦労して刃を取り外してみると、ボロボロである。どうも最近連続して裁断した本が、ホッチキス留めになっていたのを噛んだらしい。裁断機の刃、というのが途方もなく高い。3万円の裁断機の刃が、なんと14000円もするのである。ということで刃を研ぐサービスに発注してみた。これだと1400円で研磨をしてくれるという。刃こぼれが2ミリ以下の場合にのみ可能であるという。ウーン、ぎりぎりか。どうなることやら。

ここで思い切ってできるだけシンプルなやり取りを取り上げてみる。
患者:来週の金曜日は職場の忘年会と重なっていて、セッションをキャンセルすべきか迷っています。
治療者:忘年会のためにセッションをキャンセルすることに、後ろめたさを感じているんですね。

これだけである。ただし実は患者の言葉を聞いた際治療者の中にさまざまな考えがよぎったとしよう。そしてそのうえで治療者は上記の言葉をかけたのである。これらのどこがエナクトメントだろうかを考えてみよう。
 ここで複雑さを避けるために、エナクトメントかどうかを調べるのは、治療者の言葉のほうだけにしよう。患者は忘年会と重なったセッションをキャンセルすべきか単純に迷って口にしただけなのだ。それに対して治療者は「セッションを自分からキャンセルするのは後ろめたさがあるからでしょうか?」と尋ねた。ただしこの場合、治療者はほかの反応をしていた可能性もある。それは「ではキャンセルにしましょう。」かもしれないし「セッションはキャンセルしないことにしましょう」であったかもしれない。あるいは何も返事をしないという選択肢もあり得る。いずれにせよそれにより意識化されていなかった心的内容が表現されたならエナクトメントということになる。上述の例では治療者がもし患者の言葉を聞いて、「この人は忘年会と重なったことでセッションをキャンセルすることに後ろめたさを感じているのだろうか?」と本当に思ったとしたら、そうしてもう一つ、「ではそのことを尋ねてみよう」と思ったとしたら、治療者の思考や意図と言葉は一致していることになり、そこに「意識化されていなかった心的内容が表現されていた」可能性は考える必要がないことになる。ゆえにこの言葉はエナクトメントではない、と言えるだろう。
 でも実はここから先が少しヤヤこしくなる。たとえば想像をたくましくして、治療者が後になってこのセッションのこの場面を思い出して、「なんであんな返し方をしたんだろう。もう少し患者さんの話を黙って聞いていればよかったのに。おそらくセッションをキャンセルされることへの私自身の不安があったのだろう。その時はそれに気が付かなかったが。」と思ったとしよう。するとこの一見何の変哲もない治療者の言葉は、実はエナクトメントだったということになろう。そこには図らずも治療者の不安が表れてしまっていたのだ。