2013年10月22日火曜日

欧米の解離治療は進んでいるのか?(13)

入院治療の記述の続きを読む。「入院中に暴力的に振る舞い、言葉や行動や薬物による介入が功を奏しない場合には、閉鎖室や身体拘束や薬物による拘束が必要となる場合もあろう。しかしそれらの拘束の手段は、症状のマネージメントや症状を抑え込む手段containment stragegies により、実際に用いなくても済む場合が多い。後者の方法としては、ヘルパーの交代人格helper alternate identity (ふーん、そういう風に表現するんだ)に接近したり、自分の心の中の「安全な場所」に行くというイメージ療法や同じくイメージ療法を用いて感情の「ボリュームを下げる」試みをしたり、安定剤、抗精神病薬を用いたりすることがあげられている。
 そして、「ところで」とある。「ところでトラウマについて扱っている間に、『自主的な』身体的拘束
voluntary physical restraints により暴力的な交代人格をコントロールするという方法は、もはや適切な介入とは考えられていない。」
この一行は意味深い。こういうことだ。「昔は患者が自分から選択して自らを拘束してもらい、それから過去のトラウマを思い出す、というやり方はかつてはしばしばなされ、「適切な方法」として用いられていたが、それいまでは疑問視されている」ということだろう。私が昔アメリカのテレビで見たのもこの映像であった。そうか、効果は疑問視されているのか。しかし発想としてはあり得るのではないか。つまり多用はしてはならない、というだけであり、そのような扱いを希望する患者さんの場合には、その援助をすることはあながち悪いとは言えないような気がする。
「私はある記憶について思い出したいのですが、暴れるかもしれないので、両親にあらかじめ手を握っていてもらっていいですか?」と問われたら、私はそれもありかな、と思うだろう。
ここから先は私の推察であるが、おそらく(まだ)暴れ出してもいない人に対して身体拘束を施し、暴力的な状況を人工的に作り上げることは人道的にいかがなものか、という疑問が呈されたのではないか? その最中に患者が骨折などしようものなら、それが患者が「自主的」に治療者に願い出て施された拘束のせいでも、医師は訴えられてしまえば負けてしまう可能性がある。これは米国でもいかにも起きそうなことであり、したがって治療的に有効な可能性を残していても、不適切な治療手段とされたという経緯があるのではないか。
もう一つの重要な問題は、この自主的な身体拘束を用いた「治療」が、ある種の「病巣を摘出する」という精神につながる物であり、トラウマ記憶は想起させれ解除反応させることになるという考えに基づいている可能性である。もちろんそれは全面的に否定されるものではないが、これまで何度も云うような「再固定化」につながるものでなくては意味はないのである。