2013年9月20日金曜日

トラウマ記憶の科学(17)

もう一つ、ジョンというケースを紹介する(p.159)。40代の男性、一娘の父親。数年前にその一人娘が足を失なったことを非常に悔やんでいる毎日であるという。娘はある時髄膜炎になり、その時に出来た血栓が足の血管に詰まったのが原因で、片足の膝の下から壊死状態になり、それを切断しなくてはならなくなったのである。ジョンは、父親として、娘の髄膜炎の最初の微妙な兆候を発見できなかったことを悔やんで、自分を責めてばかりいた。その為に抑うつ的になり、不眠や怒りの爆発も起きるようになっていた。
治療は数回行われたが、最初の頃のセッションで、治療者はジョンが自分を責めることは、それを責めないことからくる苦痛を回避するための手段であることを見出した。治療者はインデックスカードに書いてもらった。「私の娘に対する罪は深く、自分を責めるのは地獄のようだが、自分を責めるのをやめてしまうのは、さらに辛いことである。自分は生きる価値のない人間である。」
更に検討を続けて行くと、ジョンの「少しでも努力を怠ってミスをすると自分は全くダメな人間であることの証明となる」という思考が明らかになる。この思考こそがジョンを人生のあらゆる場面で苦しめていたのだ。そして娘の足を失った記憶を振り返ることを重ねていくと、ある時突然「いくら頑張っても、不幸なことは起きてしまうんだ!」という言葉が生まれた。この「努力をしてもダメなときはダメ」、という考えは、ジョンが心のどこかに以前から持っていた考えであり、それが「努力をすれば必ず過ちを防げる」というメッセージに覆い隠されていたのだのだ。
 治療によりこの「過ちは努力が足りないからだ!」の由来をさかのぼると、それは結局はジョンの父親が幼少時からジョンに何度も言っていたことに関係していることがわかった。(また父親かあ!)ジョンが高校生の頃、フットボールで骨折した際も、「それはタックルの仕方が間違っていたからだ。正しいタックルの仕方をしたら骨折はあり得ない」と父親に叱られたという。しかし彼の心の別のところでは、「頑張っても理不尽なことが起きる」という確信があったのだ。こちらの方を十分体感してもらったうえで、それをインデックスカードに書いてもらう。「努力をしたって自分がコントロールできないことはいくらでもある。」ただし表に「自分は失敗をして娘の足を奪ってしまい、生きる価値がない。」という言葉が書いてあるカードの裏に。それを裏返して交互に読んでもらうことが、TRPの体験になり、宿題として課された。

このジョンのケースはどうだろう? ウーム。