2013年8月17日土曜日

解離の治療論 子供の人格について (8)



子供人格の成長ということ

 子供の人格と出会うことのひとつの目標が、その子供人格の成長であるという首長は、誤解を招くかもしれない。子供人格は文字通り「成長する」というわけでもないであろうし、何しろ実際に存在する子供でもないのだ。またメタファーとしての「成長」に限って考えたとしても、それを期待できない子供人格もいる。周囲は成長するより先に「寝て」もらいたいと願うような子供人格もいるだろう。それでも当面の治療目標としていえるのは、子供の人格が出現している限りは、それがより自律的になり、節度を持つという意味での成長を果たすということである。先ほど「治療者やBさんがAちゃんと話し合う」という表現をしたが、話し合いによりAちゃんの心境に変化が生じ、「Aさんのためには~をしてはだめなんだ」と考えるようになることを期待するわけである。
 ただしここにも悩ましい問題がある。Aちゃんは必ずしも主人格Aさんのために自分を律するべきだと考える保障はない。むしろAちゃんはAさんのために犠牲になるようなことは全く望まない可能性すらある。私の経験では子供の人格の多くは主人格の「お姉さん」に対して一定の敬意を払う傾向にあるが、例外も多々あるようである。
 さて以上のことわり書きを前提とした上で言えば、子供人格は一般には成長する傾向にあるようである。最初は言葉もおぼつかなかった子供人格が、やがてしっかりとして話し方になり、書く文字も「大人びて」いくというケースを見ることは多い。一般的に言えることは、その子供人格が比較的保護的なパートナーや、支持的な治療者との間で瀕回に登場するうちにそれが生じていくという印象を受ける。子供の人格が出てきた際に、私は名前と年齢を聞くことが多いが、実際に語る年齢が上がっていくことが臨床上確かめられることもある。