2013年8月15日木曜日

解離の治療論 子供の人格について  (6)

昨日のブログに書いた、子供の人格に応対する時のもう一つの懸念を思い出してみよう。それは「子供の相手をまともにすることにより、子供の出現が定着してしまうのではないか」というものであった。実はこの問いに対する答えは微妙なものとなる。それは確かに場合によっては短期的にではあれ子供の出現が「定着」してしまう可能性があるからだ。そしての定着の仕方によってはそれが本人のために好かったり悪かったりもするのである。この事情は、おそらくこのブログで書いているようなペースでしか十分な説明はできないであろう。

子供の人格とはその人の中でまだ扱われ切れていない部分という意味を持つ。単純に言えば、その人が子供時代に表現できなかったものが残っていると考えてだいたいは間違いがないだろう。DIDの方の多くは幼少時に子供らしさや甘えを十分に表現できていない。ただし例外と見られる場合もあるようだ。そのDIDの方の母親が「この子は小さいころから頑固で自己主張が強いという一面を持っていました」と証言することがあるのである。このようなことからも子供人格の成因に足を踏み込むことは時には危険が伴う。すぐにでもご両親の批判が始まってしまいかねないからだ。だからここでは一般化した言い方を用いて、子供の人格はともかくも自己表現を求めて出てくる、という程度に考えておこう。これはほぼ間違いないことであろうからだ。さもなければその子供の人格は冬眠という手段が残っているからである。
 さてその方がある程度受容な人、例えば恋人Bさんに出会い、子供人格Aちゃんが出てくるとしよう。その受容的な人とは治療者でもパートナーでも友達でもいい。AちゃんはBさんと仲良くなり、しばしばBさんがいる時に出て来て、遊びをせがむようになる。子供の人格の出現が「定着」した状態と考えていいだろう。このことは少なくともBさんにとっては恋人と会う時間にその子供の相手をすることになる。彼はそれを不都合と感じるかもしれない。それがBさんにとって好ましくない状況であり、BさんがAちゃんの主人格Aさんに会う動機を失わせるとしたら、Aさんにとっても不都合なことになろう。
 もちろんBさんがAちゃんの出現を歓迎するか、少なくとも受容的な態度で接するとする。そしてそれがAさんのBさんへの信頼を増すことになり、二人の仲がより親密になるとしたら、結果的にこの「定着」は悪くなかったということにもなるのだ。